ディスコ80年代90年代あるある体験談【フード編】

ディスコ80年代90年代あるある体験談【フード編】

80年代~90年代のディスコへひたすら通っていた時代の、あるある体験談を項目毎に並べてみたいと思います。

今回の記事はフード編です!

当サイトをご覧いただいた方々が、「それ、あったあった!」と懐かしく微笑んでいただければ嬉しく思います。

ディスコの料理

ディスコもお店によって料理は全然違いましたね。

フリーフード全盛期

チケット制が広まる前のフリーフード全盛期には、10代や20代前半のパワー満載の若者がお腹が空いたころの夕刻に出向くわけですから、それはもうディスコに入った瞬間にまず席をキープし、フードコーナーへ一番に行くわけです。

とくに男性はお皿にてんこ盛りで何度も行っては盛りの連続でしたね。そこであるあるは、コックさんが睨みをきかせて怖かった経験はありませんでしたか?わたしが10代に行っていたお店なんて、てんこ盛りで少しこぼそうものならよく怒られてました

そりゃこぼれますよ。大量にもっていけないように、あえてお皿のサイズが小さかったわけですから。お皿というかプラスチックのお皿もどきですが。なにやらフードコーナーだけはディスコの店内でも異様な空気であったような気がします。パンチパーマで調理服なんて方にジ~っと見られていると、てんこ盛りにする際に気が引けました。

なんせ我々10代から見るとコックさんは「おっさん」ですし、とにかくコックさんは怖かった。ディスコの内部でもコックさんの立場は異色で、幹部の黒服さんはともかく普通の従業員は奴隷のようにしたがってましたし。

しかしお店によってフードはひどかったですね。入場料が入場料だけにいたしかたないのかもしれませんが、炭水化物or揚げ物のオンパレード。怒られるかもしれませんが、コックさんといっても冷凍食品を袋から開け揚げるか、炒めるか、もしくは電子レンジでチンくらいで調理ってものではなかった気がします。

どんなかたが調理しても同じ味であろう、やきそばとかピラフとかポテトフライとか(笑)まぁ、当時の我々は味を楽しむよりも空腹を満たすというほうが先でしたので、なんでも良かったのですが、今から考えるとマズイものも空腹からうまく感じたのは確かです。

チケット制の導入

80年代前半くらいからフリーフードのお店は減少し、チケット制のお店が増えていきました。わたしがチケット制のお店にはじめて行ったのは確かマハラジャ。とにかくこれがディスコの食事か?というくらい美味に驚いた記憶があります。

大好物であったタラコスパゲッティ(当時はパスタなんて名称はなかった気が・・・)、手巻き寿司、はちみつトースト。このあたりは鉄板でしょう。

しかも怖いコックさんに睨まれてお皿に盛るなんてことはありませんでしたので、その点はよかったのですが、チケット制の場合は当時の男の我々には量が足らないのが不満でしたが、マハラジャなどはガッツリ食事を食べに行くためのディスコではありませんでしたからね。

とはいえマハラジャでも、ジャンプスーツのウェイターがコックさんに怒鳴られている光景を何度も目にしましたのでやはりコックさんは怖かったです。そしてディスコではすべてにおいてキレイな女性は得だなぁと!

キレイなだけでチケットの追加が無料。無料というか、従業員があげていたのですが。そのキレイな女性がサークルの知り合いで、チケットをよく横流ししてもらっていたのもよく覚えてます。

これだけ高級ディスコがチケット制で運営されているなか、高級ディスコのなかでも唯一オープンからクローズまでフリーフードを貫いた店舗が東京・名古屋・大阪・福岡にあったラジオシティです。

フリーフードのディスコとは思えないほど料理の質が高かった。お皿も小さくなくちゃんとした材質でできたお皿です。ローストビーフなんてのも普通に並んでましたからね。あとは最初の頃はチケット制でしたが途中からフリーフードとなった日拓グループのエリアロンドクラブアルクスなどもフリーフードにしては本格的な美味しい食べ物が並んでおりましたね。

しかしそれらのお店も相変わらず、コックさんの睨みだけは変わりませんでした。結局フードというか、コックさんが怖かったという話になってしまいました(汗)。

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