大阪にあったディスコの一覧と特徴

大阪にあったディスコの一覧と特徴


大阪と言えば80年代伝説のディスコ「マハラジャ発祥の地

そんな大阪は東京に次ぎディスコの店舗数も2番目に多く、マハラジャ以外にも多くの店舗がキタとミナミに分かれてひしめきあっていました。

そんな大阪のディスコの一覧と特徴を「キタ」と「ミナミ」に分けて記します。目にされた方が「懐かしいなぁ~」と感じて頂ければ幸いです。また、大阪には相当数のディスコの数があった為、省略、抜け、漏れがあるとは思いますが、ご了承願います。

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過去を懐かしみ当サイトにあなたの知っている情報を反映させて参加されませんか?

  • 当時、他にもこんなディスコがありました!
  • 既に当サイトにお店は記されてはいるけど、他にこんな特徴があった!

是非!あなたの地元の当時のディスコ情報を教えて下さい!(ちょっとした内容でも全然構いません)

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大阪のキタにあったディスコの一覧と特徴

アイウエオ順

 

 icon-check-square-o ア行
アーク ティック サイド
大阪市北区堂山町の角庄ビル7階にあった人気店スパンキーの後のディスコ。

フリードリンク・フリーフードのスタイル。

天井の照明が新宿のニューヨークニューヨークによく似ていた記憶が。何故か当時のDJさんはやたらとJ-POPをよくかけておりました。

アストロメカニクール
北区角田町5番街の阪急ファイブB1Fにあったディスコ。70年代~80年代前半ということで、ライブ&ディスコといった生バンド演奏系の箱です。

以下、当時を知る情報提供者:あきらっちさんのコメント

元々兄に連れられて初めて行ったのがアストロ!

時は71年でその当時はフィリピンバンドや日本人バンドがコピーし、シカゴ、CCR、ディープパープルなどを演奏しておりました。72年~74年までは曲の大半はブラックに流れ、WAR、クール&ギャング、JBなどです。

アストロメカニクールの店内は入ったところにはテーブルが並び、バーカウンターがあ、らせん階段をおりると少し広めのホールがありました。

アルファ クラブ
大阪市北区梅田のレイズ梅田4階にあったディスコ。
アルファルファ
大阪市北区堂山町 角庄ビル8F

朝まで営業していたので、ミナミからキタへ移動する者も多かった。当時のDJショウコさんのファン多し。

以下、情報提供者:あきっらちさんのコメント

75年~77年ごろ0時~朝方までよく行ったDiscoの一つであるアルファルファを追加で紹介いたします。

角庄ビルと言うのは東通り喫茶白馬車から北100mあたりで確か3Fにドムワン、5Fにはプレイバンク(鷲のマーク)があり、8Fに在りました。

フロアーはガラス張りでしたので夜は綺麗なネオンサインが見え、南北は新御堂筋が通っていましたので車のヘッドライトが行きかい独特のムードを醸し出していました。

まあまあの広さのフロアーで客層もよく、たまにお出ましのゲストDJの田中正美氏の良声には惚れ惚れ致しました。因みに田中氏は当時FM大阪では売れっ子DJで18時からのビートオンプラザは当方もよく聞いておりました。

エスパース
キタは東通りにあった名店。

フォーカルポイントや白馬車などと共に支持を受けた。

Oh! ゆれ OSAKA!
梅田にあったディスコ。ディスコというよりクラブ?というイメージ。

ミーハーなユーロビートなどはほとんどかかっていなかった。

とはいえ、内装は意外ときらびやかであり、六本木のバズのようにモニタが16画面並んでおり、全画面使い一つのシーンとして映像が流されておりました。

ていうか、この店名は大阪ならではのネーミングのような気がします。

  カ行
カルチェラタン
大阪市北区永楽町の梅新壱番館B1にあったディスコ。

皆さんご存知のとうり、福岡、京都、札幌にもあった人気店。

↓ディスコダンス同窓会「カルチェラタンナイト2013」の様子以下、情報提供者:あきらっちさんのコメントカルチェラタン大阪での大人の話を少し。当時上階には梅田東映パラスという映画館があり、地下にホールが広がっておりました。

大体がライブラリーのアフターで訪れており朝まで踊り狂うのですが、毎夜終了間際になるとチークタイムが始まり2~3曲流れた後にホール全体が無灯火の真っ暗になり最後の1曲は各カップルは何でもありのディープな甘い夜を過ごしていました。かく言う私もこのチャンスを享受してよい思い出になっております。

キングスヘッド 
大阪市北区堂山町の紫光ビル地下1F

パブディスコって感じ?

キングスランド
北新地にサントロペスとキングスランドが有りました。フィリピンバンドが演奏してました。

80年代でホステスさんがお客さんとアフターで来てました。情報提供者:斉藤さま

グリーンハウス 
フリーフードでご機嫌!
クレイジホース 
ダイヤモンドビルの6階にて70年代後半に流行ったディスコ。

やたらとスモークが炊かれており、見えにくくうざかった記憶が・・・。
閉店後はスタジウムとなります。

キタではディスコの初体験がクレイジーホースって方も多いと思います。入店コード(服装や年齢)がほぼ無し状態でしたからね。

クレイジーホースpart2
情報提供者:ブルームーンさん

阪急東通商店街のモコビルの5F~6Fにあった『クレイジーホースpart2』によく行きました。

当時は、男性だけでは入店出来ず女性同伴という決まりがありました。

ゴーゴージャンボリー
阪急東通りのビルの地下にあった。

生バンド演奏のお店。入場料500円(1ドリンク付き)。まだDISCOブーム到来前のお店。

以下、当時を知る情報提供者:あきらっちさんのコメント

71年ごろに行きましたが噂通りかなり物騒なところで、行ったときにもめ事が起きておりました。音源は日本人バンドが主で入場料も安めだったためかコピーの再現性は低かったように思います。

  サ行
最後の20セント
説明不要の全国区のお店。キタは大阪レジャー開発。
ジェイル
大阪市北区曾根崎新地の梅新一番館地下1F

故ムッシュかまやつさんのお店でした。

音感人間収容所と名打たれライブハウスも兼ねられており、コンクリート打ち込みの壁がまさに音感人間収容所。
入口には、「GO TO HELL!」と記されていた。

ジンバブエ
ディスコというよりは、クラブの先駆け感があったお店。

まさに、他のお店とはあきらかにかける曲が変わっていた。パンクありニューウエイブあり、時にはへヴィメタまで。ある意味異色なお店でした。

スタジウム
小松原町のモコビル6階にあったディスコ
壮大なアート空間を創り出す為に莫大なコストもかけられて造られたが、ブームのタイミング悪く短命で終わったディスコ。エントランス、通路、バー、ラウンジ、ダンスフロア、DJブース、シート、オブジェ、照明など、ありとあらゆる細部まで設計された中世ヨーロッパ宮殿風の異空間は、誰もが圧倒されたとのこと。
スタジオ ムッシュ
大阪市北区曾根崎新地の梅新一番館3階にあったディスコ。

店名のとうり、故かまやつひろしさんのお店。ちょっと店名がそのまんまですが。

ムッシュかまやつさんの店ということもあり、ライブも行われていたようで芸能関係著名人もよく足を運ばれていたようです。

スパンキー
大阪市北区堂山町の角庄ビル7階にあった79年にオープンしたディスコ。

ダンスフロアは四角形で広く、年代的に回転式のバリライト等の照明設備はないので、新宿の東亜会館に入っていたディスコのようなイメージ。

後に「アーク ティック サイド」となりましたが、内装等に変化はほとんど見受けられませんでした。

セカンドストーリー
東通り東端の堂山町、喫茶白馬車から少し奥にありました。当時は皆からSecondと呼ばれ、0時からのDiscoアフターとして朝方まで利用しておりました。

全体的にこじんまりしておりホールは10畳程度の広さでミラクルズのラブマシーンなどを聞き踊っておりました。情報提供者:あきらっちさん

  タ行
ドムワン
70年代に北区堂山町の角庄ビル6Fにあった。

まさにソウルトレイン。

  ハ行
日付変更線
大阪市北区堂山町の角庄ビル5F

83年にオープンしたお店ですが、首をかしげてしまうのは店名だけではなく、皆でビデオを見ながら踊るというスタイル。

80年代前半といえば、皆が鏡を見ながら踊るというディスコはたくさんありましたが。

フォーカルポイント
円形のダンスホールで、よくドラマなどのディスコシーンで撮影に利用されていた新宿ラジオシティの真ん中のネオン管がなくなった感じのフロア。

フォーカルポイントにて当時のダンスレッスンビデオを映し出すテレビを動画で撮っているという映像がYoutubeにアップされてました。

この時代の映像はなかなか残ってないですよね。

確か、SONYからビューカムという家庭用ビデオカメラが出始めた頃ではなかったでしょうか?

ブリックハウス パート2 
ミナミのブリックハウスが好調にてキタにも進出したパート2店
ベイサイドジェニー
大阪市港区海岸通りの天保山ハーバービレッジ1F

90年にディスコとしてオープンし、場所柄疑問符がもたれたが、ライブハウスとして長年営業したお店。
ジュリアナ東京を思い起こすような大箱で、この風景だけみると内装も似てる!?

ボトムライン
大阪市北区堂山町の紫光ビル3F4Fにあったディスコ。

2フロア吹き抜け且つ坪数も多く、かなり大きな空間であった。

あのドえらく長いエスカレーターには皆が驚いたもの。落下事故が起きても不思議ではない長さであった。

また、天井の高さとダンスフロアの広さは圧巻。

お立ち台もどえらい演出(まさにステージ?)になっておりました。

  マ行
マハラジャ梅田
大阪市北区芝田の新阪急ホテルアネックスD・Dハウス2Fにあったマハラジャ。


もはや説明不要のマハラジャ。ミナミで盛況したマハラジャが85年にキタに進出。
マハラジャマルビル
マハラジャの勢いはすさまじく87年には北区梅田の大阪マルビル2Fへ更にオープン。バビルの塔のような丸ビルに入っており、当時は日本で一番大箱のマハラジャであった。

以下、情報提供者:あきらっちさんのコメント

マハラジャマルビルについてですが、サラリーマンを辞めたのが阪神淡路大震災があって被災後の95年あたりであり、96年~仕事が軌道に乗りかけある程度自分に自由にできるお金が回りかけたころ又昔の虫が湧き、友人との会話の中でこのDiscoの存在を知りたった一人で足繁く通ったのを思い出します。

このころは家にはIBMのノートパソコンはありましたがインターネットには接続しておりませんでしたので情報なども全く取れず口コミでしかニュースは入ってきませんでした。

当時のマハラジャマルビルはビルのわきに階段が付き2階部分からの入場でした。

ただ行って思ったことは中は金ぴかのゴージャスではありましたがバブルも崩壊しておりましたので70年代及びバブル期を経験している身としてはイマイチ盛り上がりに欠けていたように思いました。

97年あたり、最後にラスト営業にも1回行きここも終焉しました。この時40過ぎを迎えた最盛期を知る中年としては寂しいかぎりでした。

モンシェリートントン
北区堂山町に70年代にあったディスコ。

チームを作って、そろいのステップで踊り、気が付いたら夜が明けてたなんて時代。

  ラ行
ライブラリー
75年秋よりオープンしたライブラリーには常連でした。クレイジーホース、カルチェラタンなどと同一の企業でグループ経営されていました。

18時オープンの24時までで大阪東通りのとあるビルの3Fで営業され、5Fはクレイジーホースパート2も営業。(ちなみにパート1はミナミダイアモンドビル5F)

店は入ってすぐ右にカウンター、左にちょっと広めのホールがあり、前面鏡ばりで自分のダンスを見ながら踊っていたものでした。音はJBLの巨大スピーカーが左右2個メインに据えられ大迫力でした。一番奥には静か目の飲み席もあり、踊るもよし、語らうもよしでした。情報提供者:あきらっちさん

ラジオシティ梅田店
大和実業が全国展開したディスコ。特に日比谷ラジオシティが有名。

当時は、大和実業運営のエスカイヤクラブ、ロイヤルなどの店舗にてオンラインボトルというシステム(全国どの店に行っても自分のボトルの残量が出てくる)がウケて、有名企業幹部の接待する場所のステイタスとなっていた。

そのような大和実業が運営するディスコは、もちろん内装にもお金がしっかりかかっており、ドリンクやフードの美味しさにも定評があった。

らんぶるおん
情報提供者:あきらっちさん

確か75年秋ごろ巷でDiscoが流行りかけていたころテレビの取材でらんぶるおんが取り上げられ、興味を持ち現地へ足を運びました。場所は大阪富国生命ビル少し東へ行ったところで斜め対面は曽根崎警察です。そこのビルの4Fあたりで割と狭めのお店でした。

当日テレビに出演していた店長に対応していただきました。店長は特徴のある本格的アフロとアフリカ系の黒人と似た香りのコロンを匂わせ独特の空気感を漂わせていたのを強烈な印象として記憶に残っております。

レヴォリューション
大阪市北区堂山町の角庄ビル6階
ROLER BOOGIE(ローラーブギー?ロラーブギー?)
1980年の年末にオープンした、今では考えられないローラースケートディスコ。
光ゲンジ、いわゆる諸星君、大沢君の世界です。ローラースケートを履いて踊るとなると、危険性も考慮しなければいけませんので相当大きなフロアが必要です。
こんな空間が梅田にあったというのですから凄いですね。
キタに存在したが、詳細はよくわからない店舗
クリストファー、クロス、サビーネ、ジャックインザボックス、スタジオ22、セクシーストップ、デビプラスティカ、トゥループ、虎、パラディウム、B&Bジュニア、ブーズギャビー、ブギウギ、プレイバンク、ペルシャンキャット、ポイントゲッター、ポップストリート、メキシカン、煉瓦屋、ワイワイ

 

大阪のミナミにあったディスコの一覧と特徴

アイウエオ順

  ア行
アニーズイン
大阪市南区の第2山田ビル3階

なんと六本木心中でお馴染みのアンルイスさんがプロデュースしたお店。

何故だか店内にはアンルイスさんお気に入りのお洋服がマネキンに着かざされていたようです。

アマゾンクラブ
大阪市南区畳屋町の都ファッションビル5階にあったディスコ。

バーカウンターと、座席数が広くとられており、ダンスフロアのスペースが小さくてディスコというよりはカフェバーのイメージが強かった感はありますが、VIP Roomも設けられ、シックでクールな店内はお洒落で人気店であった。
後にマハラジャウェストになりました。

MG
場所は西心斎橋、現在のビッグステップの北側、東西の通りの北側ビル地下一階にありました。

細い階段を降りると入り口があり、全体的にこじんまりした造りでホールは12畳程度でDJブースが正面にあり、店内にはMGが置いてありました。

ダンスレベルは相当高く、店員はダンス大会でもベスト3に入るくらいのレベルでした。JBの曲がよくかかっておりました。情報提供者:あきらっちさん

エムロード
大阪市南区畳屋町 延田ビル2階

延田グループが延田ビルで運営していたディスコ。その際、地下にはバンブーハウスもありました。

オキシジェン
大阪市中央区周防町の心斎橋ビブレ21地下2階

この場所でゲネシス→OXYGEN(オキシジェン)→Xy(ゼクシー)と時代と共にお店も変化していきました。

キサナドゥ
79年に閉店したが、サーファーブームの中心はこのお店をあげる人が多い。
  カ行
ガボ
73年~75年初頭まだDiscoがない時分ダンスホールというものがあり、ミナミではガボが有名でした。道頓堀サウナのニュージャパン地下に有り、踊ってからサウナに流れたこともありました。

広さはそこそこあり、主にフィリピンバンドが演奏し、曲は当時KCのファンキーホーンやAWBのピックアップザピーセズなどをかなりの練度の高さでコピーしていました。情報提供者:あきらっちさん

QOO
大阪市浪速区難波中のタカサゴビル8F9Fにあったクラブ。

正式名称はカフェボアット・クゥー。
91年にディスコとしてオープンし、クラブへと変化させ時代と共に5年間深く愛された誰もが知るミナミの大箱。

90年代初頭ディスコ~クラブに営業形態の変更が徐々にされていくなか大阪でお金のかかった最後の豪華なディスコのオープン?

ということで話題になったクゥーですが、その空間はバー、ダンスフロア、野外テラスやフリースペースなど、飽きさせることのない仕掛けは超一級品なお店でした。

96年閉店以降ミナミ伝説のクラブとして多くの方の心に刻まれております。

キング&クィーン
心斎橋筋のディスコビルと呼ばれたダイヤモンドビルのマハラジャのすぐ上の6Fに86年の暮れにオープン。

もはや説明不要のNOVA21グループの猛旋風最中に出来たMAHARAJA SALOON。
しかし、残念ながら全国で一番早く閉店した店舗がこの大阪のKing&Queenだったという意外に不名誉な事実があります。

クラブ アンテナ
大阪市中央区西心斎橋のスパジオビル地下にあったディスコ。

テレビ大阪がプロデュースしたディスコ。

派手さはありませんでしたが吹き抜けで開放感があり、かっこよいディスコでした。

テレビ大阪の幹部がタレントさんをくどく場所?と、いう噂はまったくありませんでしたが、私は勝手にそう思ってました(笑)

クラブ カオス
大阪市中央区西心斎橋2丁目のスパジオビル地下1階

クラブ アンテナの同場所の以前のお店です。高級感が漂い大変人気のあったお店で、地下1Fとは思えないほど天井が高く、開放感が心地よかったと言われてました。

後にグランカフェとなりました。

クラブパトーナ
意外と行ったことある方は多いと思うのですが、情報が少ないディスコ。

こういうお店は大衆過ぎてインパクトに欠けていたというか、差別化がはかれていなかったというか・・・。

ただし、だからこそ通いやすいという利点もありますよね。フランス料理に注力していたそうです。

ゲネシス
大阪市中央区周防町の心斎橋ビブレ21地下2階にあったディスコ。

87年にオープンされ、ご覧のとうり惚れ惚れする空間をベースにファンは多かった。ゲネシス閉店→OXYGEN(オキシジェン)閉店→Xy(ゼクシー)
  サ行
サウスリー
アニーズインの入ったビルの上にあったお店だが、パンク色が強かったようです。

以下情報提供者:ガンジーさん

今から40年前くらい大阪の南ではサーファー一色。そんな中ニューウエーブやパンク、ロックンロールなど最先端のファッションやダンサーがいたのは紛れもなくサウスリー。

他のディスコは軟派場だったけどここは違った。中途半端な人が入ると引くぐらいのアーティステックな異空間。音楽ももちろんファッションは超個性的。

パンクで飛び跳ねてると思いきや今度はジルバ。みんな踊るのうまかったし憧れた。海外アーティストもライブ終わりで来てたりとにかく最高だったね。今の若者に見せたかったな

シャンバラ
正式名称はクラブ シャンバラ
大阪市中央区心斎橋筋1調目のアンデコールビル4階店内は小箱でキャバクラのようなソファ席が並んでおり、壁画は東京のエロスのようなアート感でペイントされていた。
ジェイズ
大阪市中央区心斎橋筋1丁目のアンデコールビル4階

80年代の後半に流行ったディスコというかクラブ。後の92年にパシャクラブとなる。

ジジック
ミナミにあったオシャレな大人のディスコ。
このジジックの繁盛がきっかけとなってマハラジャが生まれたと言っても過言ではない。
ジュビレーション
大阪市南区心斎橋筋のマキシービル3階にあった超ゴージャスディスコ。
それもそのはず、延田グループのもとであのヒロミゴー(郷ひろみ)プロデュースです。当時は、誰もが知る大阪の有名店舗です。そういえば未だに延田グループのCMに郷さんは出られてますね。
ゼクシィ(Xy)
大阪市中央区心斎橋筋の心斎橋ビブレ地下1Fと2F

ディスコという名称が陰りをみせてきた90年代半ばに大箱として華々しくオープンするも時代の逆境に逆らえず、1年ももたなかった。
かなりの大箱であり、オープン時は大人がごった返していただけに残念なお店でした。

基本的な狙いはジュリアナ大阪であっただけに残念。

  タ行
ダイナマイト
福島の高架下にあったクラブ。ディスコ→クラブ という変化の時期あたり。
タッチダウン
泥棒貴族と共に20セントグループが運営。マハラジャが産声を上げる前のお兄さん的存在ですかね?
ダンスホール富士
ミナミの大箱ディスコの元祖と言われております。ステップを踊る時代の箱です。ダンスホール富士関連記事はこちら
ダンバー363
大阪市南区笠屋町にあったディスコ。

かなりレトロ感且つシックなお店。ロゴにはパブディスコと描かれていた。

PART2店もあったようです

ディナスティ
85年に大阪市宗右衛門町にて延田グループがディスコ「Dynastie(ディナスティ)」をオープン。
ステーキが美味しかったと有名。
デッセジェニー/Desse Jenny
難波千日前の吉本会館にあったディスコ。

店名は横文字だとカッコ良いが、日本語で「銭でっせ~」と当時話題に!

マハラジャ系列が衰退したあと、このお店は長年人気店でした。高級感あり、アート感あり、開放感あり、Xyがオープンするまで大阪のジュリアナ?というイメージかも知れません。

以下、情報提供者:あきらっちさんのコメント

デッセジェニーに出現の奇妙な被り物!

バブル期に5~6回は行きましたが、他のクラブは同伴強制ながらここはチェックが甘かったように思います。

中に入るとホールは階段状になっており一番下にフロアーが在りました。幅10m以上の階段では皆が踊っており、一番上の階段によく明石家さんまさんの被り物やらハイヒールモモコさんの被り物やらで、モモコさん側は女性が被っていました。

一説ではあれは本人が素では来れない為に被っているだとか全くの他人だとかいろいろな意見を聞きました。私自身はさんまさんのノリ、モモコさんのノリをみて本物ではないかと思った次第です。

  ナ行
NASA21
大阪市南区笠屋町の大和屋ビル地下にあったディスコ。

ミーハー系であったが、入店に女性同伴が義務付けられていた。

ソファー席が大量に広々く設置されており、ダンスフロアが狭かったイメージがあります。

店名を見ればお分かりでしょうが、宇宙をイメージしており入口からしてロケットの中に入っていくような造りで目立っていました。

また、店内はレーザー光線がやたらと走っておりました。

80年代前半にオープンしただけあって、ロゴのサブネームがSUPER DISCOと書かれていたことに時代を感じます。

  ハ行
パシャクラブ
大阪市中央区心斎橋筋1調目のアンデコールビル4階

この4階は80年代後半ジェイズ→92年パシャクラブ→クラブ シャンバラ

パトーナ(クラブ パトーナ)
オープン時は玉屋町の地下にあり、マハラジャ本店とも人気を2分けするほどでしたが数年で閉店。
と思いきや少し経ったらいきなりホテル日航大阪地下2Fに復活したディスコ。色々と事情はあったのでしょうが、復活の早さと復活した場所に驚いた方も多かったです。
バンブーハウス/Bamboo House
ミーハー若者向けディスコではあったが、ドレスコードまではいかぬも、入店チェックの先駆け的存在のお店。
フリーフードであったが何故かドリンクだけはチケット制であった。やたらと天井が高く開放感がありました。
B&B
ダイアモンドビル3階にあった70年代後半に流行ったディスコ。

初めて行ったディスコがB&B、B&Bが青春と語る方多し。

後にディナスティ。

葡萄屋
ミナミの葡萄屋について思い出したことを書きます。場所は東心斎橋周防町通り沿い1階にあり、店舗外観は喫茶店風で中に入るとカウンターがありそこに沿って左に行くと8畳程度のこじんまりしたホールがありました。

客層について75年ごろはほとんどサーファーで夜はその狭いホールは満杯でした。情報提供者:あきらっちさん

大阪プラチナム
一度は行ってみたが、一時閉店のようですね。

マハラジャ当時の高鳴るサイレンがバリバリ鳴ってます。

ブリックハウス
正式名称「SOUL STATION BRICK HOUSE」ダンサー系の総本山として知られたディスコ。

1979年世界ディスコダンス選手権優勝のテディ団さんがいたことで知られていたディスコ。
キタへブリックハウスパート2まで出店。

ヘンリーマジック
80年ぐらいの話ですが妻が行ったところでヘンリーマジックがありました。

場所は南船場のビル。当時大阪のトップサーファーであり、ジャンクションサーフのオーナーであるヘンリー祝氏が監修したDiscoで、フロアーは広めでその頃はテクノミュージック全盛で代表曲はMのポップミュージックなどが流れていました。情報提供者:あきらっちさん

ポイントアフター 
大阪市南区南炭屋町のタカラビル2階

大阪でサーファーディスコと言えば皆が声をあげると言われているアメリカ村にあったポイントアフター。ステップガンガンな時代ですね。

ボストンクラブ
大阪市中央区東心斎橋1丁目の日宝ニューコロンブスビル8階

比較的小箱系であるが、内装はカッコよかった。店内の一部はプールバーともなっておりました。

マハラジャ
82年ダイヤモンドビル5階に産声をあげたマハラジャ1号店。(マハラジャ本店)

ダサイ格好は店側が判断し、入店を拒否するというドレスコードを徹底した宮殿ができあがったのである。

ジジックの常連も初めてのマハラジャの店内の豪華さには息を呑んだと言われてます。確か、4階のマハラジャバーから5階のマハラジャへは利用可であったと思います。

マハラジャウェスト
中央区東心斎橋の都ファッションビル4F5Fに86年にオープン。
  ラ行
雷神(ライジン)
大阪市南区宗右衛門町 かねよしビル地下にあったディスコで客層は比較的高かったようです。

特徴は、ダンスフロアが柵に囲まれていてその周りに席があり、なにやらK1の試合でも見るのか?という造りでした。

ライムライト
大阪市南区畳屋町 都ファッションビルの地下にあったディスコ。

4階と5階がマハラジャウェストが入っていたビルです。

天井がそれほど高くない割には、照明が凄かった。ラジオシティの照明類にソックリ。閉会式照明もUFO式照明もまったく同じメーカーであったと思われます。

4階と5階が像の牙の真鍮が象徴であれば、こちらは鶴二匹が象徴。

ラジオシティ阿倍野店
大和実業が全国展開したディスコで大阪の2店舗の1つ。

ラジオシティは梅田店と共に、フリーフードが食べ盛りの若者に大人気でした。

フリーフードを名乗っていたディスコでは美味はナンバー1であった気がします。

ミナミに存在したが、詳細はよくわからない店舗
MG、アンドレ、イリュージョン、イエローマジック、イメージラッシュ、ウエリントン アベノ、エレファント404、オランダ屋敷、クラブMODEN、ガボ、キャピタルエル、ケントクラブ、サウスエンド、サタデーナイト、サムシングエルス、ジャパン、スーパーマシン、ズールー、スピークイージー、セラークラブ、倉庫倶楽部、ダイアナ、ディストリクト、ドゥヤ、トムトムクラブ、トリコロール、ドムワン、ドムス、ドンショップ、ナスカ、ネルズ、ノヴァン、ハーレムクラブ、パラダイス、パラノイア、バンソウルディスコ、バンブーイン、ビー、ピックアップ、ピープル、ポイズン、マギー、ミスティ、ミスティッククラブ、ミナミクロス、ミルクホール、メインチャンス、ルキャステル、レーガン、ワッツ

まとめ

さすがは大都市大阪。東京と比較すると店舗数は多少劣りますが、詳細不明な店舗を含めるとやはり物凄い数のディスコが存在しており、途中で気が遠くなりました。

私自身大阪に数年住んだこともあるのですが、いい街でした。ジャイアンツファンということは絶対にクチに出せなくて何故だかヤクルトファンで通してましたが・・・(笑)

これは私の個人的な感想ですが、街の雰囲気を東京で考えると、キタが新宿と銀座の合体版でミナミが渋谷と六本木の合体版というイメージのような気がします。

マハラジャ六本木とマハラジャ大阪には末永く頑張ってもらいたいものです。

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