70年代のディスコも素晴らしかったようです。
管理人である私自身は80年代にディスコデビューであり、80年代~90年代のディスコ事情は多くの体験でスラスラ記せますが、70年代のディスコは体験しておらずまったくわかりません。
またディスコフリークであった方々は、各世代ごとに口をそろえて
というふうに各世代ごとに主張されます。私もそのうちの一人であることは確か。
とはいえそれら各世代の誰が言っていることもすべて正解であり、それぞれ自身の体験したなかで自身が判断した価値感がそれぞれの個々の1番良き黄金時代として心に刻まれており、個々のディスコの思い入れになっているということでしょう。
そこで私の体験していない70年代のディスコの素晴らしさを表現するには、過去を遡り調べて書くか、どなたかにお聞きするしかありません。そのような経験もしていない私の文面は、リアルに70年代を経験されてらっしゃる方からしてみると、おもしろくなどありませんよね?
ですので当ブログの東京にあったディスコの一覧と特徴や口コミや日本全国のディスコのカテゴリに各地方の一覧と特徴や口コミも、比較的80年代以降は詳細に記せておれますが、70年代は調べて綴るとリアリティに欠けているでしょう。
ところがありがたいことに、当ブログに70年代をリアルに体験されていらっしゃるかたがコメントを投げかけてくれております。ありがたいことです。
こちらの記事では、そのかたがたの体験されている当時のコメントをそのまま(表現や比喩は一部変更)反映し、70年代のディスコの素晴らしさを綴りたいと思います。
70年代の東京のディスコといえば!?
情報提供者:匿名さん
ディスコはアウトローメンバーが集まった70年初期から78年までが黄金期であると思います。
70年代新宿のディスコ事情
ディスコレーベルはファンク、モータウン、フィラデルフィアでしょう。
そしてお店は「ゲット」「ポップ」「トレビ」です。
まだ一般大衆化されてない時代であり、カツアゲされるかもしれない緊張感、ケンカは頻繁にあり、従業員もファイティング従業員、夜中ソウルトレインを見て翌日教室の後ろでみんなで踊った思い出があります。
その後にツバキハウス、カンタベリー、ゼノン、ツモロウUSA、ニューヨークニューヨークあたりからあまり行かなくなり、白金ダンステリアがオープンし毎週行ってましたが今は【クローズ】してしまいました。
70年代六本木のディスコ事情
1977年頃の六本木は新宿と比較すると、まだ今のような六本木ではなく比較的静かでした。
六本木といえばやはり「メビウス」でしょう。
当時は一人ワンフードワンドリンク制ですのでボトルキープしていました。
DJブースはガラスの丸いドームで、選曲はジョニーテイラーのフーズメイキングラブとかミラクルズのデゥィットベイビー(誰もがしってるラブマシーンではありません)スピナーズ、BTエキスプレスのピースパイプとかアベレージホワイトバンド(メンバーが皆白人の為アベレージホワイトバンドという名前になってます)のカットザケイク オハイオプレイヤーズのラブローラーコースター、ラブアンリミッテッドのラブソティホワイト。
まだアースウンドファイヤーがメジャーではない時代です。
70年代のディスコの曲といえば!?
情報提供者:匿名さん
72年~77年頃の時代ですが、ディスコでは踊りがうまくないやつは絶対もてない時代。
知らない曲がかかればDJに聞き、すぐ買いに行きソウルの歴史を勉強しました。
ジェームスブラウン、テンプテーション、スリーディグリーズのデビュー曲を知ってますか?当時アーチスト及び曲名もわからぬまま踊るのは邪道でした。
アースウィンドファイヤーにおいてはセプテンバーしか知らないとか・・・。その前の曲のゲッタアウエイ、マイティマイティとか名曲です。
KC&サンシャインバンドにおいてはザッツザウエイしか知らないとか・・・。これまたその前のファンキーフォーンなんか最高です。
ソウルの歴史はアメリカデトロイト(車産業が誕生した町 フォード、クライスラー他)。
そこへ1950年頃に誕生したのがモータウンレコード(スティービーワンダー、ライネルリッチー、テンプテーション、フォートップス、シュープリームスなど在籍)
シュープリームスボーカルのダイアナロスもデトロイト出身で、早くモータウンに所属したかったらしく飛び込みでいったらまだ15歳で断られ、17歳ごろやっと所属できたとのことで、現在の日本におけるディスコの歴史を作ったも同然のような会社です。
1975年頃「メビウス」で早い時間はまだ客も少ない為、モータウン・フィラデルフィアではなく新しい曲が流れてました。
いよいよドナサマーの登場です。
通常ミュンヘンサウンドと言われる曲であり文字通りドイツミュンヘンが発祥地。
代表されるグループはアラベスク、ボニーM他 ドナサマーのファーストリリース LOVE TO LOVE TO BABY COULD IT MAGICが流れており非常に洗礼された曲で、ファンクではなくスローに近い曲でした。
その後ホットスタッフ、情熱物語、バッドガールと引き継がれていき、アカデ三―賞を多く受賞した記憶があります。
2012年にお亡くなりになられましたが、グロリアゲイナー(ネバキャンセイグットバイ、恋のサバイバルが有名)が棺を担いだのは有名であり、大変に残念です
80年に入り、ただ気分で適当に踊りナンパばかりする時代とは違い、72年~77年頃はナンパばかりしてるやつはボコボコにされるという時代でした。
ところで超有名DJ赤シャツ松本みつぐさんはニューヨークニューヨークの前、チェスターバリーでDJしてました。
その当時自宅にもお邪魔したことがあります。なにしろレコードの山でした何枚かおかりした記憶があります。
残念なことに昨年お亡くなり葬儀も出席させていただきました。その8年ぐらい前ニック岡井さんの葬儀も出席させていただきましたが 松本みつぐさんと話したとき「○○(私)お互いに健康には気を付けようぜ!」と言っていたことが懐かしいです。
両名のご冥福をお祈りいたします。
70年代にディスコの世界へ飛び込んだ若者の背景とは!?
70年代当時のディスコはデビューは80年代と比較しても敷居(敷居の種類がそもそも違った!?)は高かったようです。
少なからず不良の溜まり場!?アウトローの異空間!?というイメージが若者の間でも定着していたというのが事実のようです。
以下、情報提供者:匿名さん
高校1年の時自宅でダチと麻雀している時、一人の悪友がEPレコード3枚を持ってやってきました。
そのEPレコードは、シュープリームスのストップインザネイムオブラブ、ジョージマックレ―のロックユアベイビー、ジェームスブラウンのセックスマシーン。
そして「この曲の踊りを勉強しよう」と言われ、麻雀を片付けて悪友の腰や足を見ながら見よう見まねで踊りましたが、自分は動きがぎこちない且つリズム感もまったくなく、「その踊りじゃナンパできない」と言われ、その悪友に夜遅くまで畳が擦り切れるまで練習しました。
そして悪友が「来週踊りにいこう」と誘われ、踊り?こいつ不良じゃんと私は思いました。
当時「ディスコに行こう」の表現はなく「踊りに行こう」でした。
どこに行くの?とたずねたら「新宿のgetかpopだよ」「服装もダサいのはダメだから明日買いに行こう」私の最初のディスコ人生の入り口でした。
翌日に当時のファッション最先端であった原宿のハラダで悪友に指示された服を購入、新宿マツドコという床屋でパーマをかけ、日曜日4時ごろgetにいきました。
入場すると大音量の曲!踊り場を見渡すとかっこいいソウルシーシーを踏んでいる二人の男がいました 悪友に聞くと「近藤さんと桑野さん」とのことです。この二人が、のちの有名人バブルカムブラザーズのブラザーコーンさんとラッツ&スターのトランぺッターの桑野さんです。
そして84、5年頃に行く場所もなく途方に暮れているとき、朗報が来ました。白金に踊れる店であるダンステリアが出来たとのこと。
行ってみるといきなりマービンゲイ、スピナーズ、アルグリーン、ファットバックバンド、の名曲オンパレード、それから約10年間通い続けました。
オーナーはドン勝本様、DJはニック岡井さん、江守さん、鶴岡さんでした。
まとめ
70年代のディスコは、80年代、90年代とはまた違った良さがあり、素晴らしい空間だったようですね。
70年代も経験したかったなと思わされます。
このように各世代のかたがたのコメントを拝見すると、「ディスコの黄金期は80年代」という記事を私はメインで当ブログに記しておりますが、それは私の単なる個人的な意見であり一般的な見解ではありませんね。
さまざまな年齢のかたがご自身でそれぞれの時代のディスコを黄金期であると、思い入れをもたれていることがよく理解できました。
世代は違えど、まさに「ディスコ」というものは当時の多くの若者にとって、とてつもなく大きな影響力をもった遊びであったことだけは各世代共通した事実です。
【ディスコ好きが集まり、ライブで語り合うチャンネル】
YouTube▶ バブル ディスコの舞台裏【マハラジャ風ノンストップディスコミュージック】
YouTube▶ ディスコメモリーちゃんねる
通いました
70年代後半、金曜日のメビウスは「金メビ」と言ってサーファーデーだった記憶があります。
キャンディーズの年下の男の子でステップをみんなで踏んで踊りました。