ディスコクイーン

80年代当時は、ディスコクイーンなるものが一つのステイタスでした。

ディスコクイーンに選ばれるとそのお店の顔パスはもちろんの事、他店においても顔パスになれたり、スポンサーからのハワイ旅行やサイパン旅行など豪華な賞品ももらえたほどです。

またクイーンに選ばれると、芸能界の入り口も夢ではなかった記憶があります。とにもかくにも、ディスコクイーンはメディアにも多く露出されていたものです。

▶ 昔のMAHARAJA(マハラジャ)のディスコクイーンコンテストは強烈なインパクト!

ディスコクイーンコンテストが盛んにおこなわれていた

バブル当時のスポンサーに関しては、大変な大金がばらまかれていた様な印象を受けました。特に、ディスコのスポンサーとして目立っていたのがタバコ関係で、SALEM LIGHTSが目立ってましたね。

どこのディスコに行ってもセイラムギャルがセイラムのサンプルを配っておりましたが、そのキャンギャルがこれまたレベルが高くてポッとしちゃったものです。そしてディスコクイーンといえば、代表格はやはり「マハラジャクイーン」!全国のマハラジャから選ばれたクイーンが最後にハワイのマハラジャでクイーンが決定するという、そこまでのチカラの入りようで話題でした。

▶ 昔のMAHARAJA(マハラジャ)のディスコクイーンコンテストは強烈なインパクト!

お顔やスタイルはもちろんの事、自己紹介に質問タイム、水着審査やダンス審査など華やかな世界でした。マハラジャクイーンの次に注目されていたのが、Jトリップバーダンスクイーンであったと思います。

そして、バブル崩壊後はスポンサーも中々予算が厳しく、そのようなコンテストは縮小されていき、各ディスコによる個別のディスコクイーンというものは存在しましたがさほど話題にも取り上げられなくなっていきます。

ディスコクイーンとして自らをプロデュース

そして80年代後半~90年代に突入し、ジュリアナ東京がオープンした頃から、自分がディスコクイーンと自らをプロデュースするような流れとなっていきます。

そのきっかけを作ったのがミリオン出版から毎月発売されていた月刊誌「ヘブンズ ドア」ではないでしょうか?

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当時のディスコフリークなら誰もが知るバイブルです。全国のディスコの店舗紹介はもちろんのこと、黒服倶楽部という名でそのお店の顔とされる人気黒服スタッフのグラビアや、取材日の綺麗で可愛いギャルの紹介、グッズの紹介等、まさにディスコ一色の雑誌です。

とくにディスコに来ているギャルの衣装をてんこ盛りで紹介しており、私がディスコクイーンよ!といわんばかりにギャルの皆様は露出の激しい衣装であってもみんな喜んで取材のカメラマンにアピールしていました。

とくに東京のディスコ通いの方々は、ヘブンズドアを見たらお友達がたくさん写真に写っているという、いわばちょっとしたモデル感覚で、「ヘブンズドアを見てファンになりました!」という、ナンパのアプローチも多くあったようです。

現在のようにインターネットが当たり前の時代ではなく、携帯電話さえ普及し始めの頃でしたので、雑誌の魅力は絶大であったと思います。逆にそういった時代であったからこそ、ギャルもあのような露出姿を写真に撮られてもまったく抵抗がなかったのかと思います。

今ですと、簡単にスマホカメラで撮られてSNSで拡散されて過去を恥ずかしがる事になるのかもしれませんね。「ディスコクイーン」という言葉の響き! それにしても、懐かしく楽しかった良き時代でした。

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