今の若者はチークタイムという言葉を聞いても「???」ではないでしょうか。
40代~60代のおじさん達の多くは、この「チークタイム」にある意味、青春をかけていたと言っても過言ではありません。言い過ぎかな?(笑)
チークタイムとは、70年代~80年代のディスコで、1日数回実施されるスローで静かな曲が流れる時間です。DJさん達の休憩タイムやDJチェンジのタイミングであったのも確かでしょう。
チークタイムの魅力とは!?
では、このチークタイムにどのような魅力があったのかといいますと、ディスコは常に爆音でヒットナンバーがかかっておりますが、このチークタイムには1日に2・3回静かなスローなバラード調の曲をバックに女性とハグしながら揺れて踊れる時間があるわけです。
このハグする女性は、そもそもカップルであればなんてことはありませんが、当時の多くの若者は当日に気に入った子を見つけて、チークタイムの時にチークダンスに誘うっていうわけです。今や草食系という言葉がよく聞かれますが、当時の若者は飢えた野獣のように女性を見定め、猪突猛進でした。
チークタイムで誘う子を見つけるために、爆音の中ヒットナンバーに身をゆだねダンスフロアで激しくアピールしていたといっても過言ではありません。激しいダンスで汗だくにも関わらず、ダンスフロアで女性とハグしながらゆったりと揺れながら踊るわけですので、我々おじさん達は、当時ハンカチはもちろんのこと、香水は欠かせませんでした。
若気の至りで、その香水も付け過ぎて強烈な匂いを発している者も多かったです。私なんてもうそろそろチークタイムの時間が近いなと感じたら、ダンスフロアはもちろんのこと、お店の中をくまなくお気に入りの可愛い子を探すためにめっちゃ早歩きでチェックしたものです。
とはいえ、ダンスフロアは照明で明るくて見やすいのですが、客席に関しては薄暗いので、四苦八苦したものです。
チークタイムは日本の文化では未だ見当たらない
なにはともあれ、その日に同じ場所で初めて出くわした自分の気に入った女性とハグしながら10分~15分程度(だいたいスローな曲が3曲程度)踊るわけですから、女性特有の甘い香りを感じながら、もうその時は興奮MAXで力強いテントを張りながらです(笑)。
見も知らぬ男女がいきなりハグし合うなんてありえないと思うかもしれませんが、ディスコの遊びの1つの流れとなっていましたので、女性側も受け入れてくれる方も多かったし、男性側も誘う行為に恥じらいはありませんでした。
諸外国ではよく見られるハグの光景ですが、そんなハグを長い時間おこなうなど、日本人の文化としてはあまり考えられないことですが、当時のディスコのチークタイムという時間には、そんなありえない文化が日常化していたのです。
断られてもなんてことはありませんので、第5候補くらい決めておいて自分の中のNo.1から怒涛のアプローチです。なんせ周りの男性は皆がライバルですので、グズグズしていると自分より先に声をかけられてOKされたらアウトですから。
チークタイムで踊った子とは、後々連絡先を聞いたりお店を出た後にお茶をしに行ったりということもありましたが、多くはその場限りであった気がします。それはそれで、めちゃくちゃ楽しかったわけです。
チークタイムは80年代半ばあたりから消えていった
私が当時一番通っていたゼノンなどは、何十組ものカップル男女がチークタイムを踊っているシルエットは圧巻でした。しかし相手が見つからない者やすべてお断りされた者は、そのシルエットを羨ましがりながら眺めるしかないわけです。私も何度も悔しい思いで眺めていたものです(汗)。
一番嬉しかったのは、何人かの誘いを断った子が私が誘うとOKしてくれた時です。たくさん通っていればそんな時もあるんですよね。当時を思い出させてくれるチークタイムでよくかかっていた曲が私の中ではこれです。
Procol Harum「A Whiter Shade Of Pale」
この名曲は、ディスコを問わずあらゆるシーンでかかってました。そもそも1967年に発表されて20年以上も愛され続けた名曲です。
あと、マハラジャのスローでよくかかっていたWham!の「Careless Whisper」
話しは戻りますが、なぜか80年代も半ばあたりになってくると、チークタイムという言葉は徐々に消えていきます。
チークタイムはスロータイムと呼ばれるようになり、スローで静かな曲が3曲くらい流れはしますが、その時のダンスフロアは誰もいない状態となっていったのです。ディスコ遊びの大きな風物の一つがなくなったのは当時の楽しみが半減されたのをよく覚えてます。当時以来、チークタイムという言葉が使われる機会はなくなっていきました。
マハラジャのスロータイム
このあたりになってくると、完全にダンスフロアには誰もいない状態であり、マハラジャのDJのアナウンスが頭に思い浮かぶくらいです。
「テスト1.2 えー、本日も東京マハラジャご来店誠にありがとうございます。ここで当店東京マハラジャよりインフォメーションがございます。スロー前にかかりましたInto The Nightは当店東京マハラジャの社長であります成田勝のブランニューシングルです。最寄りのレコード店、当店フロントにて絶賛発売中です。是非、お帰りの際にお求めくださいませ!また、毎週月曜日はカレッジサーキットを開催中です。先着20名様に当店東京マハラジャオリジナルリミックステープをプレゼント・・・・」
この曲を聴くと、自然にDJさんの上記のようなアナウンスが出てしまう。どんだけマハラジャに通ったんだって話(笑)
それにしても今回はチークタイムについて書きましたが、まさに我々おじさん達の10代後半の頃の大きな青春の1ページであったのです。
【ディスコ好きが集まり、ライブで語り合うチャンネル】
YouTube▶ バブル ディスコの舞台裏【マハラジャ風ノンストップディスコミュージック】
YouTube▶ ディスコメモリーちゃんねる
チークタイムの話懐かしく読まさせて頂きました!
まさにXENONのチークタイム争奪戦はその通り♪(笑)
おっちゃんになり若者に昔のディスコの話をする時に
『昔はチークタイムっていうのがあってその日知り合った女の子と
抱き合えて踊れたんだぞ』って説明していました。(笑)
今思うとほんと夢のような時間でしたね。
ついさっきまで会話もしてなかった子と抱き合って耳元で会話するんですから。
チークが始まる数曲前から目でアイコンタクトしあう可愛い子を見つけては
もう他の野獣に横取りされないようにロックオンしてたのを思い出しました。(笑)
あんな時代はもう来ないんだろうなって思うとちょっぴり寂しく思いますね。
NAFNAFさんコメントありがとうございます。
まさに青春のど真ん中!私はチークタイムは最初から最後まで物凄い勢いでテント張ってましたので、なぜか上半身はピッタリ抱きつくも下半身は恥ずかしくて当たらないように注意し、少し腰が引き気味というなんとも滑稽なシルエットであったと思います。(笑)
うらやましいですねぇ。親御さんから、スター並みに恵まれた容姿を授けてくれたんですねぇ。ディスコに行っても、女性を選ぶ主導権を一手に握っていたんですねぇ。うらやましい限りですねぇ。
10代のころ、ゼノンやゼブラなど通ってました!
フリーフードのとことか懐かしく読ませていただきました
具がないスパゲッティや緑のゼリーとかあったような?
チークタイム、もう私が行っていたときには数える人たちしか踊ってなかったので(90年以降)
誘ってくる人もいましたが、恥ずかしくて断っていたので踊ったことありません
あと、ユーロビート以外にハウスとかhiphopのタイムもありませんでした?
その時間になると、どう踊ったらいいか分からなくて席に戻ってました
中ではほとんどナンパもされなかったのに、閉店後の明け方のコマ劇場前では声かけてくる人がたくさんいました
とにかく持ち帰りたくて必死で、ブスでもいいかって思われてたんでしょうね(笑
でも、そんなのも含めて楽しかったなー
みっちゃんさん
コメントありがとうございます。
具がないスパゲッティや緑のゼリーやら閉店後の明け方のコマ劇場前の話題など
笑いながら懐かしく読ませていただきました。
たしかに90年以降はチークタイム時間に踊る人は激減し、単なる営業時間内のメリハリ
を創出するものであったり、DJのかたがたの休憩のための時間になってましたね。
ナンパに関しては、可愛いいからだけの理由ではないと思います。
可愛くてキレイでもオーラが強すぎて声をかける勇気が出せないことも多かったです。
逆に、声をかけやすい雰囲気の女子はいたもんです。(笑)
いずれにせよ楽しかった時代ですよね♪
2019年10月20日 Maharaja Roppongiにて。80’s DISCOのイベント、チークタイムは今も健在です。
3人ほどの女性にお声をかけましたが、沈没。笑顔で断れてしまいました。俺ってこんなもんですね。
月に一度のイベント、80’s DISCO 又、チークタイムにお声をかけて、みます。
70年代Discoでのチークタイムを思い出と共に書かせていただこうかなと思います。
チークタイムは一晩の中に一度はあり、フリーダンス中に目でサインを送り、仲良くなってそのまま腰に手を回し
踊るタイプや遠くても狙いをつけていきなり手を引っ張って行く強引なものなど誘い方は多種多様で常にホールで
ダンスを目立つようにしていれば割と簡単にうまくいったようです。その時のドキドキ感は旨くいこうが駄目であっても相当な面白みとなっておりました。
その時の楽曲はシャイライツのオーガールやビリーポールのMe&Mrs.jonesなど色々ありましたがその中でも
日本が生んだ名曲つのだひろのメリージェーンは二人の気持ちを盛り上げる最高の曲でした。