パラパラダンスはダサい?いや、日本の文化でしょ!

パラパラダンスはダサい?いや、日本の文化でしょ!

ディスコは各店舗により差別化をはかり競って集客をおこなっておりましたが、いわゆる大衆店(マニアック運営ではない)におけるザックリとしたブームは

  • 70年代はステップの時代
  • 80年代は第一次パラパラブームやヒップホップダンスの時代
  • 90年代はテクノダンスの時代~第二次パラパラブームの時代
  • 90年後半~2000年前半が第三次パラパラブーム

ではないでしょうか?

踊り方は時代により変化してきましたが、どの時代においてもムーブメントを起こしているダンスは、皆で共通して一体感を楽しむというもの。

ヒップホップダンスだけは個性をいかに出すか?などありましたが、その中においてもやはりランニングマン・ロジャーラビット・ロボコップなど決まった型があったのは事実です。

パラパラダンスのパラパラという言葉の起源が意外であった!

パラパラダンスのパラパラという言葉の起源は2説あります。

  1. 70年代のタケノコ族が流行った時に起源された言葉である説。
  2. a-haのテイクオンミーという曲の前奏を「パパパラッパッパッパパパラパラ♪」と皆でうたいながら同時に振り付けて踊っているのを見たディスコの従業員が「またパラパラやってる」と発してから説。

2の説に関しては、ディスコの爆音の中で歌うには相当な大声を要するので、歌いながら振り付けする → 振り付けのみになった。

パラパラダンスの絶対的教祖はパラパラオールスターズ!

パラパラダンスといえば、パラパラオールスターズを抜きにしては語れないでしょう。

パラパラブームは

  • 第一次パラパラブーム(87年~90年)
  • 第二次パラパラブーム(94年~98年)
  • 第三次パラパラブーム(99年~2001年)

とされておりますが、第一次~第二次に関しましてはディスコの従業員を筆頭に皆で同じ振り付けを見よう見まねでダラダラと楽しく踊るというものでした。このあたりは ディスコダンスの種類や背景を時代から思い起こす! の記事をご覧ください。

ところが第三次パラパラブーム時のパラパラオールスターズが出現してからは、パラパラに対するお客さんのパラパラへの向き合い方も変化しました。

かかるすべての曲の振り付けが頭に入っていることは当たり前、足のステップも左右確実に合わせる、振り付けをおこなう腕に徹底的な無駄は無くす、また腕の伸縮は徹底的にMAX。

とにもかくにも一言で言えば「キレ」です。

パラパラオールスターズのパラパラダンスは、見惚れさせるキレがあり、まさにパラパラダンスが芸術に変貌したといって過言ではないでしょう。

パラパラダンスの神とされるパラパラオールスターズが結成されたのは99年の12月

12月5日にベルファーレ5周年イベントにて1億3000万人総パラパラ化計画を掲げるユニットとして

  • SATOKO
  • TOMOMI
  • RICHIE
  • MAKI

の4名でパラパラオールスターズをスタートし、まずパラパラ動画ビデオであるパラパラスタジオが発売された。

そして翌年の2月にパラパラパラダイスを発売し、その年の6月にはオリコンビデオチャートにてその2本が1位2位を独占するヒット!

なんと、合わせて40万本以上のセールスを記録したと言います。この当時はVHSのビデオテープの時代。

その後2000年3月に高校を卒業した

  • RYOKO

6月には福岡で踊っていた

  • MIHO

をスカウトして6人で活動となり、クラブイベント・テレビ・雑誌・企業イベントなど参加芸能人やミッキーマウスにいたるまでパラパラブームを共演し大活躍のスタートとなったわけです。

余談ですが、私はRYOKOさんのファンでした(汗)

さらに2000年8月30日にパラパラパラダイス2000と題し代々木体育館にて3万人のパラパライベント開催が超話題となり、2000年10月にはアーケードゲームパラパラダイスをKONAMIとの提携で世に出し大ヒット。

極めつけはそのパラパラダンスゲームのアジア大会のため香港へ進出し、アジアでも若者の間でパラパラブームを引き起こさせ、この年の流行語大賞で「パラパラ」が受賞されるというもはや文化人的存在にまで登り詰めました。

2001年1月に発売されたパラパラパラダイス2においても2月にオリコンビデオチャート1位を獲得し、パラパラパラダイス4では昨年訪問した香港へ行くと、もう完全にスター状態。

その年の8月にエイベックスレイブと題し、ビックサイトで数万人規模のパラパライベント開催や3日間で30万人規模が訪れるカスタムカーイベントである東京オートサロンや大阪オートメッセのステージでもパラパラオールスターズにてパラパラステージを披露。

このようにパラパラオールスターズはパラパラダンス信者の若者の男女からはもはや「神」とされていたわけです。

その後2002年の8月に解散

活動期間は約2年半でしたが、彼女たちにとりましても凄まじい勢いで駆け抜けたよい体験となったのではないでしょうか。

ここ最近では2016年にはAgefarre2016にてParaParaPara Specialに登場されてましたね。

参考記事:パラパラオールスターズの現在とは!?

パラパラダンスの上手い人と下手な人

パラパラダンスはまず振り付けを曲ごとに覚え、皆で同じ振り付けを楽しめばよいと思いますが、上手い人と下手な人の違いは上でも記しましたがやはり「キレ」の違いであると思います。

また一つ一つの手の動作を伸ばすところはしっかり伸ばすという点で見れば、上手いかたは身体全体を使ったダイナミックさがあり、下手な人は小手先だけで振り付けをおこなっているという見方もあるでしょう。

あとは余った側の腕をどう見せるかでパラパラダンスの上手い下手がはっきりします。たとえば左手だけを使うシーンにおいての右手の配置をどうキレイに処理するかなど。

次に記す、パラパラダンス動画などをYoutubeなどで見てみると一目瞭然なのではないでしょうか?

パラパラダンス動画が教科書

ディスコで人のパラパラダンスを見よう見まねで踊ろうにも、追い付いていけなかったというかたも多かったと思います。

家でパラパラダンス動画のビデオを見て練習し、習得したかたも多かったのではないでしょうか?

皆さんはどのようなパラパラダンス動画をご覧になられましたでしょうか。たくさん出ておりましたが、代表的な以下の物は皆さんご存知でしょう。

パラパラ教典


第二次パラパラブームの時の代表作。エイベックスが93年のテクノサウンド主流の際に初のパラパラダンスビデオであるパラパラ教典を非売品として制作。ド派手なルナマティーノを戦闘服として皆が身にまとった頃です。

参考記事:ディスコの衣装(コスチューム)70年代・80年代・90年代

六本木のディスコである AREA(エリア) にて撮影され、出演は

  • ルナゼウス 旭さん
  • ルナテレサ 森さん
  • ルナマリア 姫さん

当時の代表的なパラパラダンスビデオはこのパラパラ教典であり、大変に参考となるものでした。

ところが第三次のパラパラオールスターズのパラパラパラダイスを見てしまうと、いかにパラパラオールスターズの彼女たちが凄いかが比較するとよくわかります。

パラパラパラダイス


パラパラパラダイスの内容は、パラパラダンスファンにとっては「動くバイブル」と言っても過言ではなかったでしょうね。パラパラダンスを学ぶための視聴者への見せ方や、彼女たちの魅力を最大限に引き出す構成は完ぺきでした。

各店舗作成パラパラダンス動画

各ディスコ店舗もそれぞれパラパラダンス動画ビデオを作成し、更にパラパラナイトという曜日を決めてパラパラダンスをとことん追求し、パラパラフリークを引き寄せるスタイルの営業日が設けられていました。

私の知る限りでは、エリアツインスターマハラジャラジオシティが実施店であった記憶があります。とはいえその中においてもパラパラダンスの聖地はやはり間違いなくツインスターであったでしょう。

また全国の各地の様々なディスコ店舗においても、ブーム時はこのような各ディスコ店舗自作のパラパラダンス動画ビデオがたくさん出されていたのではないかと想像します。

ツインスターの教則ビデオ

ツインスターと言えばパラパラ。パラパラと言えばツインスターと言えわれるほど、東京においてはツインスターがパラパラの聖地でした。

毎週火曜日のパラパラダンスイベント「HYPER STAR ENERGY」においては、約1,000人規模のお客さんが、あのツインスター入り口前の長いエスカレーターを埋め尽くし神楽坂の歩道にはみ出すまで列をつくっておりました。

新しい曲の振り付けは、このツインスターで生まれ毎週火曜日のこの日に講習会で参加者に伝授され、その振り付けは都内全域から全国に配信されるというまさに発信源であったわけです。

パラパラダンスフリークの男女は、1週でも休むとライバルにおくれをとる!と毎週欠かさず通います。そして定期的に教則ビデオが販売されていて1本4,000円弱くらいするそのパラパラ教則ビデオは飛ぶように売れていました。

とくに女性はツインスターの「HYPER STAR ENERGY」のお立ち台で踊ることをステイタスとしており、そのお立ち台に上がるためにはかかる曲のすべての振り付けが出来ることが暗黙の定義であり、1曲でも振り付けがおこなえない女性が上がっていると、他の女性に降ろされるような行為があったようです。

そのようなブーム時においてもユーロビートの新曲の出るサイクルは大変速く、パラパラフリークは毎週入場料を払って入店し、ビデオまで購入し若者にとっては出費もかさんだことでしょう。

しかしパラパラフリークは皆ステイタスを保とうと必死であったわけです。

このようなツインスターの仕掛けを造り上げた支配人の宮地さんの手腕は、ブームの火付け役と同時にビジネス的にも大変上手であったのではないでしょうか。

パラパラダンスの曲

パラパラダンスの曲においての特徴としては、第一次~第二次~第三次となるにつれBPM(1分間にビートがいくつ入るかのスピードの目安)がとてつもなく速くなっていったのが最も大きな特徴でしょう。

早くなれば早くなるほどパラパラが激しくなります。第一次と第三次のパラパラダンスを比較すると比べ物にならないほど第三次のパラパラはスピードの忙しさに加え複雑化もされておりました。

つきなみで申し訳ありませんが、第三次の代表曲と言えばNIKOのNight of Fireでしょう。木村拓哉さんのSMASMAでのキャラであるバッキー木村がNight of Fireのパラパラを演じて火が点いたのも事実です。

そういえば長州小力さんの、あのけだるそうなNight of Fireをパラパラダンスする姿も個人的にはツボでした(笑)。

パラパラダンスの曲といえば?という質問には回答は何百曲答えれば良いのか?というレベルであると思われますし、その何百曲のすべての振り付けがおこなえるというかたがわんさかいたのも事実です。

パラパラダンスの現在と今後

現在は、パラパラブーム再燃なるか?「egg」モデルがオリジナルダンスを披露などというキャッチフレーズをツイッターで見かけましたが、第四次パラパラブームは起きておりません。

ただしこの記事の冒頭でも綴りましたが、たとえば徳島の阿波踊りなどのように、日本人はたくさんの群れで同じ動きをおこなうことにより所属の欲求を満たし一体感を味わえることをお祭りのように楽しめるという本質があると思います。

そう考えますと、過去に3度も繰り返されてきたサイクルの4度目はたとえスパンが長くとも必ずやってくると思えてなりません。また若者のパラパラダンスを踊る姿を見たいものです。

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