スクエアビルから1~2分歩いた六本木3-8-15日拓ビルB2にマハラジャより約1年後に誕生した大箱のディスコ「AREA」。
80年代は都内のディスコにおいては東京マハラジャとAREAが人気を二分けしていたといっても過言ではないほど、この両店が大人気となりました。
AREAは東京マハラジャと比べ天井の高さが7メートルもあり、ライティングシステムやレーザー光線などの演出や開放感がウケていたと思われます。
四つ角にある長いネオン菅が特徴で解放感が快感に思える高級ディスコで、青山King&Queenが出店するまではドレスコード(服装チェック)がもっとも厳しかったのではないでしょうか。
80年代のAREA(エリア)は六本木のディスコで最も人気であった
東京マハラジャ本店は六本木ではなく麻布十番にありましたので、六本木でいえばAREA(エリア)がナンバー1人気であったでしょう。
六本木はディスコの店舗数はたくさんありましたが比較的小箱のディスコが多く、AREA(エリア)の人気は六本木でありながらあの天井の高さを含めた広々とした空間。
そして盛り上げ時には、ダンスフロアを包み隠すように天井からカーテンが降下し全体を覆い尽くす演出も、訪れたお客様を魅了しました。
ゆったりと座れるソファも居心地がよかったと言われるかたが多いです。
客層においては、マハラジャが学生系に対しAREAは社会人系のイメージでした。
AREAの運営会社は今では都内歩けばたくさん存在する「エスパス日拓」、パチンコチェーンです。
飲食業界へもたくさん展開しており、その中の本格派中華料理店のものがもAREAには準備されており食事も大変美味しかったです。私も何度も足を運んだ一人でした。
たしかオープンからしばらくはチケット制であった覚えがありますが、いつのまにかフリードリンク・フリーフードとなっていた気がします。
AREA(エリア)の従業員がころころ変わっていた理由
当時の日拓の社長の息子さんが、現在の社長である西村 拓郎(神田うの の旦那さん)さん。
その頃の西村 拓郎さんはまだ若く、ちょくちょくグループのディスコに遊びに来られており、従業員は息子さんが来られるたびに直立不動になっていたような気がします。
そりゃ働いているほうからしてみると、会社の社長の息子が自分の店で遊ばれたら気を遣って嫌なもんでしょう。(結構、やんちゃしてました)私も通っていたので、仲のよい従業員さんもいましたが、よく愚痴を聞いてました。
そして従業員さんはコロコロ変わってましたね。
パチンコ店が多数あるものですから、ディスコの従業員からパチンコ店への転勤も多かったです。「あっ!○○さん!」と、渋谷や高田の馬場のパチンコ屋で元AREAの従業員と会うとか何度かありました。
きらびやかな世界でジャンプスーツに身を包んだ夜の方が、パチンコのドル箱を運ぶ姿は見たくなかったなぁ~。とはいえパチンコ店勤務になったら、すぐ辞める方も多かったようです。
AREA(エリア)は美女の宝庫であった
話は戻りますが、マハラジャと人気を2分けしていただけあって、AREAには六本木でも遊び慣れた「いい女」が溢れてました。
そもそも場所が六本木であるということと、当時は深夜営業もしていましたので、六本木のお水のお姉さんも多かったというのも理由のひとつでしょう。
バブルの時代も重なり、そのような女性をナンパするのは金持ってなきゃ無理という感じで、ナンパに関しては何度かトライするもAREAに良い思い出はあまりなかった覚えがあります。とはいえカッコいいディスコでしたね。
ただ、私としてはやはりマハラジャの方が好きでした。
理由はマハラジャは成田社長の教育である「ホスピタリティ命」が浸透しており、従業員の接客レベルがAREAより優秀であったと思います。
AREAは高級ディスコにしては、女性(とくに美女に対して)に対しては優しいが、男性客に対しては全体的に冷たいというイメージがありました。(一部可愛がってくれた方もいますが・・・)
謎のDJブース
またDJブースもどこにあるの?ってくらい高い位置にあり、サイレンも無い点が盛り上がりという面では、やはりマハラジャ!って感じですかね。
そういえば90年代に入り、久しぶりにAREAに行ったらダンスホールの横に強引に無理やりDJブースを設置してました。
あきらかに手造りって感じでちょっと萎えましたが、DJの皆さんもあんなお客さんから見えない高い位置でのプレイに我慢できなくなったのでは?と推測しますが、真相は定かではありません。
上記の件に対し、2020年1月に、「おぱん様」より投稿がありましたので、以下に記します。
「AREAでDJブースがフロアに出来ていたのは週末限定で、フロアにおりてという企画でやってたやつですね。パフォーマンスタイムのスポット以外は、基本バーカウンターの上にDJいましたよ。」
おぱん様、情報提供ありがとうございました。
▶ バブルディスコ AREA(エリア)・CIPANGO(シパンゴ)のあった日拓ビルの今!
▶ 80年代~90年代六本木でとくに人気を博したエリアとシパンゴというバブル期を象徴するお店を徹底解説いたします。
▶ 日拓グループのロンドクラブ・アリア・アルクスの3店舗の当時の凄まじさを解説いたします
Return 六本木周辺(東京都)のクラブ / ディスコ(遠い過去~現在営業中まで)店舗一覧と特徴【ディスコ好きが集まり、ライブで語り合うチャンネル】
YouTube▶ バブル ディスコの舞台裏【マハラジャ風ノンストップディスコミュージック】
YouTube▶ ディスコメモリーちゃんねる
貴重な体験談で興味深いです。
昨日マハラジャで初めてサイレンを聞いて「何だろう?」と
思いましたが、昔からの伝統だったんですね。
社長の息子がナンパのライバルなら分が悪いですね~。
他の客もざわざわでしょう(笑
ヒデ★さん
コメントありがとうございます。
このようなブログに興味もっていただきありがとうございました。
はじめまして(^^)/
かつてディスコに通っていた頃、一番好きな箱がエリアでした。
従業員さんがパチンコ店に左遷(?)されていた件を初めて知って、驚愕しております(^^;
エリアではお立ち台に上がる時に、従業員さんが手を取ってエスコートしてくれるのが最高に気持ち良かったのです(笑)女性客は大事にされてましたよね。
それにしてもnonさんのディスコ知識と情報収集量の豊富さに感心する事しきり。スゴイ!!
お会いして色んな裏話をじっくり聞いてみたいですわ(笑)
奈々子さん
コメントありがとうございます。
エリアは本当に素晴らしい空間でしたね。
>従業員さんが手を取ってエスコートしてくれるのが最高に気持ち良かったのです
当時はエリアも他店も、お店のイメージをアップさせたいので、美人さんでないかたが
お立ち台に上がることを従業員はよく思ってなかったはずです。
今の時代ですと問題になりかねないと思いますが、降ろされていた女性も多くいました。
ましてや手をとってエスコートなど・・・。
これに関しては、奈々子さんが美人さんであったからです(笑)
私も当時のディスコが好きであったボディコンが懐かしいと
思われている奈々子さんのような女性とお会いして、
当時を振り返った会話で楽しみたい!(笑)
エリア、本当に素晴らしい空間でした。階段降りてあの創造を絶するような異次元さ。またそこにいる人も質が良かった。もうあのような空間は来ないだろう。。
初期は良かったが次第に来る客質が悪くなり下降したかな。
黒服さん
コメントいただきありがとうございます。
エリアはおっしゃるとうり、素晴らしい空間でした。
初期の頃の客層の良さはハンパじゃなかったですね。