今でもボディコンという言葉が死語であることはありませんが、ボディコンと言えばやはり80年代~90年代頭がメインであったファッションでしょう。
日本でのボディコンの浸透
1981年ミラノ・コレクションにてアズディン・アライアの身体のラインにぴったりとフィットしたデザインのドレスを発表したことが話題を呼び、これをボディ・コンシャススタイルと言い、日本では略されてボディコンと呼称されました。
80年代のバブル期においての女性のファッションイメージとしてボディコンはきってもきれないほど定着したイメージの象徴とされておりますが、当時の多くの女性がボディコンを身にまとっていたかといえばそうではありません。
女子大生やOLの方々も普段着にボディコンなど着用するわけはなく、あくまでも夜の遊び場にて着用されていたということです。メインは、やはりディスコでしょう。あとは、お洒落なカフェバーやプールバーなどではないでしょうか?
初期のボディコン
ボディコンも初期から随分と変化していきました。平野ノラさんが、「しもしも~!」と弁当箱のような携帯電話で話すコントの姿がまさに日本で浸透した初期の段階のボディコンであると言えるでしょう。
もちろんそのボディコンはピンキー&ダイアンやプライベートレーベルを代表にDCブランドでガチガチに固められ、ティファニーのオープンハートのネックレスやイヤリングでキンキラ。近寄ればシャネルの5番か19番の香りが・・・。
ワンレンボディコンが似合う代表格として、当時はW浅野(浅野温子さん・浅野ゆう子さん)がドラマでもCMでも引っ張りだこでした。ボディコンに腰までのばしたストレートのワンレンが加わり、ボディコンのワンピースに超極太ベルトは定番。メイクはファンデーションで真っ白にし、真っ赤の口紅を塗りたくり、眉毛は極太タケちゃんマン。
そしてディスコでは、そのようなお姉さま方を、ニコル、グラスメンズ、メンズビギなどのDCブランドに肩パットを入れたジャケットに身を包み、髪型は2ブロック&もみあげテクノカットの肉食系男子が羨望の眼差しで見つめる。
今の若者が聞くと「ダッセェ!」とか「嘘でしょ!?」と思うかもしれませんが、まさにそんな時代だったわけです。ディスコでもカフェバーでも、そんな男女で夜の遊び場はいっぱいであり、テーブルには必ず色鮮やかなカクテルが並んでおりました。
チェリーフィズ、メロンフィズ、カカオフィズ、バイオレットフィズなどのリキュール類をソーダで割った飲み物が並べられ、特にバイオレットフィズは色と味が共に人気がありました。男性は、女性のフィズ系に負けじと、マティーニとかブラックルシアンなどで強がったものです。
話しは戻りますが、ボディコンといえどこの頃のボディコンは身体のラインがそこまで強調されるようなSEXYさがあったとは思いません。
中期のボディコン
80年代後半~90年代初頭には、ボディコンも次第にSEXYさが追及され、より身体にフィット感が出たのと、肌の露出が多くなっていきます。
しかし、女性側にしてみればもしかしたらツラかったかもしれません。自身のスタイルがモロに出てしまうのでスタイルの良い女性はいっそう輝き、スタイルに自信のない方は醜態をさらけ出すことになりかねません。
しかし、流行というものの勢いは凄まじく、ディスコにおいてはスタイル関係なくほぼボディコン。なかにはボンレスハムのように見えてしまうような方も平気でいました。ジュリアナ東京の初期から全盛期の頃のボディコンが男性陣にとってみればいまだに一番の大好物(スタイルが良い女性の場合)ではないでしょうか。
ディスコの店内は薄暗い箇所が多いので、スタイルさえ良ければボディコンを着ているだけで、相当数の男性からお声掛けされていたと思います。そしてお立ち台にて周りや下から羨望の眼差しを送ってくる男性に対し「どうよっ!」と言わんばかりのダンスを繰り広げる展開が彼女たちの陶酔タイムであり、それがどんどんエスカレートしていくわけです。
ボディコンの終焉
エスカレートが進むにつれ、ライバルに負けじとボディコンはお洒落でSEXYなものから下品なものへと変化していきます。ジュリアナ以外の各ディスコがそのエスカレートを煽ったという事もありましたが、TバックやらOバックなど過激化が進み、最終的にはTバックに上半身はニップレスだけという強者まで出始めたわけです。
過激さとともに、ジュリアナの入場規制強化から始まりお立ち台撤去へと繋がり、ジュリアナ東京閉店と同時にボディコンというものは消えていきました。後に六本木に大箱のベルファーレがオープンしますが、ボディコンは既に姿を消しておりました。
今ではキャバクラやクラブのお姉様、コスプレなどで見かけますが、未だにボディコンは男にとっては魅力的な衣装ですね。そんなボディコンですが、楽天などでなんと1,000円代とか激安で今でも売られてますね。
まとめ
80年代初頭から日本でも夜遊びの場では広く浸透したボディコン。そのファッションは女性の魅力を数段引き上げるアイテムであったことに間違いありません。
女性がボディコンを身にまとうという需要は、自身のスタイルの良さを発揮できるアイテムであると同時に、やはり男性の羨望の眼差しかと思います。
消えたというボディコンも、現在でもキャバクラやクラブなどで多く採用されております。特にキャバ嬢で多いのは胸元の強調されたボディコンが目立ちます。
敷居の高いクラブなどは基本的にドレス系ですが、キャバクラで多いのは、時が過ぎて時代が変わっても男はボディコンがSEXYで大好きであるということでしょう。
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non様 アズディン・アライアに触れてくださってめちゃくちゃ嬉しい!ボディコンは知っていても アライヤ絶対出てこないんですよね!(当時デザイン科で必死だった私ですw)その後日本で49AV 順子島田さん(今でもご健在ですごく素敵に生き方をしてて本買いましたw)で、今でもあるピンダイが主流になるけどアズディン・アライア!なんですよねー!なんか今だに 島田順子の服が家にありますw
Mamiさん
アズディン・アライアってMamiさんにとって神なんですね。
Junko Shimadaも売れまくってましたね。
ピンダイっていまでもあるんですね。当時の青山のKing&Queenにいた女性は全員ピンダイ着用のイメージが残ってます。
私はアーストンボラージュが大好きでした。
やばい、nonさんやっぱり若い!(羨ましい)^^