80年代のディスコには様々な特徴がありました。そんな、あるある話の「出会い編」を思い出す限り綴っております。
多くの方に「懐かしい~!」と思っていただけると思っております。
80年代のディスコでの出会い【男性編】
とにもかくにも当時のディスコの存在は男女の出会いの場所の代表格でした。
実際の言葉は「ナンパ」ですが、下品な言葉ですのでこの記事では敢えて「声掛け」「出会い」と記します。80年代は男女共に肉食系であったと思います。
ディスコ帰り女性の待ち伏せ
お店に入店することもせず、深夜の閉店時間を狙って男2名で車で駆けつけ、女性二人組みに「家まで送ってあげるよ!」という言葉で誘います。
女性からしても遠方から遊びに来ている方も多かったので、そりゃ車で送ってくれるとなると楽です。車の外から乗っている男性陣の雰囲気(顔や格好やセンス)を様子見して良さげだと判断すれば、乗る子も多かったように思います。
そのような声掛けで初対面同士が車に乗ろうが、今の時代でよくあるような物騒な事件のようなものはほとんどありませんでしたね。車の中でお互いにウマが合えば、ファミレスでお茶したり、カラオケに行ったりして電話番号を交換できればラッキーという感じでした。
女性側も、友達とお互いに顔を見合わせアイコンタクトで、ウマが合わなければどこも行かずに単なるタクシーで終わらせるということです。たとえそうなっても男性側は、それはそれで致し方ないと、そういった意味では当時の遊び人の若者は健全な良識があったと思われます。
当時の男性の乗りつける車はトヨタのソアラとホンダのプレリュードが異常に多かったです。懐かしいですね。この出会い方を試みていた数の一番多かったのは、90年代のジュリアナ東京の営業後であったでしょう。なんせ来場者数が桁違いでしたし、女性にとってもジュリアナ東京の場所が交通機関があったにしろ不便なところでしたからね。
踊ることなく声掛けのみ
ディスコの店内に入ってから閉店まで、一度も踊ることもなく女性への声掛けのみを目的に来ている男もいましたね。これは踊りとディスコミュージックが大好きであった私には理解出来ませんでしたが・・・。
そういう男に限って毎週あらゆるお店に顔を出してましたね。笑
私の場合、踊ることも大好きでしたので、女性との出会いだけが目的の方はディスコの楽しみが半減する感覚でした。
トイレ前の出待ち
- 気に入った女性が団体客の中にいる
- 3人組の中の1人を気に入った
- 気に入った子はレディースVIP客
- 2人組でレベルが違いすぎるパターン
このようなケースの場合、トイレ前で出待ちをしてお声掛けをしたという男性も多いのではないでしょうか?私なんて当たって砕けろ精神でよく頑張ってました。ほとんどが相手にされず失脚でしたが・・・(汗)
たま~に成功するときもあったので、頑張れたんだと思います。正直、上記のようなケースでトイレ待ち以外の座っている時に一人で声掛けするという空気が読めない行動はいくらなんでも勇気がありませんでした。
二人組でレベルが違いすぎるパターンの場合も苦闘でしたね。友達に犠牲になってもらうとか、自分が友達のために犠牲になるケースも当然ありましたが・・・。
平日のディスコは狙い目?
平日もディスコへ繰り出してはいましたが、出会いに関しては狙い目であった反面リスクもありました。平日のメリットとしましては週末がお仕事の職種の女性出会えること。たとえば美容師火曜日、木曜デパガ、看護師さんやCAなども。
サービス業の方は普段の土日が休みではないので、休日前にディスコへ繰り出す場合平日になりますので、なかなか出会えない職業の女性と出会うチャンスでもありました。
ただし、そもそも平日にディスコへ行く人数は週末と比較すると大幅に少なかったので、入店してみるも男性客のみしかいないケースや、「女性を見つけたっ!」と思いきや女性は団体客の一人だけ。
さすがに、人気店はこのような悲惨な状況はありませんでしたが、小箱のディスコはこのようなケースが見受けられました。
ソファ席のソファとソファの隙間に指を突っ込むと
ソファとソファの間や背中の繋ぎ目の部分によく名刺がはさまっていた。これはあるあるですよね?笑
80年代のディスコでの出会い【女性編】
女性のお客さんは、完全に3パターンでした。
ナンパ待ち二人組女性
遠目で、他のグループの男性が声掛けするのを見ていると瞬時でわかりましたよね。強者は入店前や普段から、容姿や雰囲気などを感じた瞬間に共にその声掛けに応じる場合と応じない場合のサイン(アイコンタクト)を決めていたと思われます。
この時代は積極的な女性も多く見受けられ、逆ナンも結構多かったように思います。
許せる範囲~イケメンの男性二人組などですと、サクッと連絡先の交換やディスコ後に二次会って感じでしたね。
完全シカト女→黒服やDJのファン
お店の黒服さんやDJの知り合いや、ファンの女性も多くいました。そのような方に声掛けしてもまず無理。
通っていると把握できますので一切声掛けなどしませんでしたが、逆に常連の女性とはたくさんお友達にはなれました。
会社の打ち上げ等で来ていて普段はディスコに疎遠
普段男性の声掛けなど慣れていないので、初対面の男性にいきなり軽々しく話しかけられることに対し「な、なんですか?」的なリアクションが多かったです。
その女性からしてみると、凄く軽薄な男性に映っていたのだと思います。結構キツかった記憶があります。
少なくとも女性もディスコで楽しむ要素の中に出会いというものの比率も高かったと言って良いでしょう。男性ほどではないでしょうが・・・。
ディスコの男女の出会い後
ディスコの遊び方の中で出会いを求めるという比率は男女共に高かったように思います。ディスコで出会って結婚された方も多いでしょう。
それを前提に考えますと、皆さん、我々のディスコの時代(80年代~90年代前半)に現在のようなスマホがあったらと想像しませんか?
この記事をご覧の世代であれば絶対に今の若者が羨ましいと思ったことはあるはずです。あの当時にスマホなんてあったらどんなに楽しかったか。簡単にライン交換。何かネタがあればツイッターやインスタ発信。考えれば考えるほどもっともっと楽しさが倍増したでしょう。
当時は、今では若者には「何それ?」と言われる、ポケベルでさえ持っている方は少なかった時代です。連絡先の交換ができたとしても、実家の女性に連絡を取る際に待ち受けるのは電話に出るご両親や兄弟姉妹を突破しないと繋いでもらえないという事実。
また、やっとの思いでデートの約束にこぎつけても、たまにスッポかされることも・・・。ツラかったなぁ。今やラインで「ふるふる」で簡単に交換ができる時代。あの時代にスマホがあれば異性はモチロンのこと、交友関係含め何十倍もの出会いがあったはずです。
言ってもしょうがありませんが、想像するだけで今の若者たちを羨ましく思います。
まとめ
ディスコには各それぞれ色々な楽しみ方がありました。踊って発散。独特の雰囲気(爆音のサウンドやきらびやかな内装と照明)を感じながら飲食。会社や大学生の二次会など。
その中でも異性との出会いを求める比率は高く、そのような場所を提供してくれていたのもディスコです。
あの時代に現代のようなスマホがあれば何十倍も楽しめたという事を記しましたが、あの当時はあの当時で通信手段が限られていたからこそその出会いの貴重さが良き想い出とされているのかもしれません。
【ディスコ好きが集まり、ライブで語り合うチャンネル】
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今日たまたま新宿ゼノンと検索してこちらにたどり着きました!
なんかもう嬉しくてコメント書き込まずにはいられませんでした。^_^;
もうディスコデビューの話から、あれ?私の友達?って思ってしまうぐらい通っていたディスコがリンクしていましたもので。(笑)
私のデビューは一回目に六本木のスクエアビルに行ってしまって、あ~田舎から出てきた者には六本木はまだまだハードルが高すぎると痛感して、そのあと2回目に行った新宿XENONで完全にハマって週5で通っていました。そして同じようにたま~にニューヨークニューヨークに行って、あそこではこちらはゼノンの常連なので喧嘩して店追い出されたり(笑)、渋谷に行くときはラ・スカラでしたし。ほんと同じ時期でしたらきっと同じ日にあの大箱の中にいたんだろうなと思ったら嬉しくなってしまいました。あと六本木ではゼノンの系列のザ・リージェンシーも行きましたよ。唯一東京タワーの夜景が見えるディスコで好きでした。ゼノン・ニューヨークニューヨーク・ラスカラは会員証が三種の神器のキーホルダーで、リージェンシーはあの板状のやつで鉄板と呼んでいました。
こんな話をできる人ももう周りには大学の仲間ぐらいしかいなくなってしまったので。このブログに出会えてほんと嬉しいです。
またお邪魔させて頂きます♪(#^.^#)
NAFNAFさん
コメントありがとうございます。
懐かしく感じていただけで嬉しく思っております。
きっと、たぶん、いや絶対に同じ空間に居合わせていたと思います(笑)
XENON週5は恐れ入ります(汗)
私も、ニューヨークニューヨークの常連とはウマが合わず、ゼノン派でした。
まさに青春でしたね~。
何故だか私はザ・リージェンシーには行った記憶が・・・
NAFNAFさんの情報を早速ザ・リージェンシーの欄に追記させて頂きます。
ありがとうございました。
返信ありがとうございます!(#^.^#)
XENONの話だけでも丸々一日語り合えそうですね♪
あの頃の記憶と言ったらまず、エレベーター開くと貫録のあるパンチパーマの
店長さんだかボーイさんが居てキーホルダー確認するんですよね。(笑)
あとDJにはハマちゃんとかドラえもんって人がいたな~って。。。
フリードリンク・フリーフードではたまに50円のチョコとバニラ・ストロベリーとバニラのカップアイスが出てて、それが出ると争奪戦でした。(笑)
あといまだに思うのがたま~に来ているお客さんをビデオ撮影してそれを売っていたんですよね。まだ大学生だったのでそんなビデオテープ買うお金はなかったので買いませんでしたが、今思うと思い出に買っておけばよかったなって後悔しています。^_^;
また懐かしい話したいですね!
エレベータ開いた瞬間のパンチパーマの店長さんだかボーイさん、の話マジでウケました。ツボにはまった(笑)
ハマさん、懐かしいですね。あと、チャーリーさんてDJもいましたね。
哀愁の曲かけながらのマイクパフォーマンス(しゃべり)はXENONのDJは凄く上手かったと思います。
たしかにビデオテープの件は覚えてます。あの当時だとSONYが家庭用ビデオを出したばかりの頃かと・・。凄い高価だった気がします。
今のハイビジョンや4Kなどと比べると「クソ」みたいな画質でしょうね(笑)