福岡 博多にあったディスコの一覧

福岡 博多にあったディスコの一覧

福岡県にあったディスコの一覧と特徴や口コミを掲載させて頂いております。

ディスコフリークの方は、是非懐かしさを感じて頂けると嬉しく思います。

全国ディスコフリーク情報募集!

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  • 当時、他にもこんなディスコがありました!
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是非!あなたの地元の当時のディスコ情報を教えて下さい!(ちょっとした内容でも全く構いません)

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九州と言えば福岡県。他県の方も地元の方も「博多」と呼ぶ、九州最大都市です。

もちろん、そんな博多もディスコブームは全国同様盛り上がっていました。

そして誰もが口を揃えて語る

「マリアストリート」

ここは親不孝通り(この通りの名前自体も他県から見ると興味津々)の路地を入ったところにマリアクラブという伝説のディスコがそびえ立ち、そのストリートには他のディスコも軒並み出店し、いわばディスコ聖地となった。

福岡と言えば「中州」では?と県外の者はイメージしがちですが、中州にもディスコは存在したようですが、当時は親不孝通りがメインでした。

当時の福岡のディスコの一覧と特徴や口コミ

アイウエオ順

 icon-check-square-o ア行
Aube
ブラック系のジャンル。
アシュラ
基本はヒップホップ等のブラック系。坪数の割には、吹き抜けの天井がフロアーの開放感を感じさせ窮屈さのない心地よい空間を演出していた。

土曜日に行われていたオールジャンルのオリジナルイベントが人気であったお店。現在もグラムカフェというクラブの営業が行われている。

イマジン
王道のディスコとして当時ははばをきかせていた。

ここは、ダンスフロアに割れて凸凹の部分があり、多くの者がここでつまづくという現象があったが、お店側はまったく修復しなかった。

M&L
確か清川にM&Lという地下に降りるディスコがありました。情報提供者:伊達 博行さん
  カ行
 カルチェラタン 
中洲 ロゴにpub DISCOと書かれていた


カルチェラタンは、福岡に寄った芸能人や芸能関係者がよく立ち寄ったとされる高級感ある大人向けディスコであり、あのクイーンが来店したこともあるようです。

閉店後にはフェニックスが出来るがこちらもカルチェラタンの伝統を引き継いだガキんちょのいない大人向けのディスコの差別化をしっかりと守り、繁盛した。

同様に大人向けのディスコとして当時流行っていたのが、ラジオシティやパシャクラブであるが、その二店と比較しても少し敷居が高かったとされたお店。

ガゼンボウ
80年代に西通りにあった。UK中心の選曲で小箱だったのでディスコというよりクラブ系ミュージシャンとかもお忍びでよくきてました。情報提供者:BONさん
キャッツ
通称キャッツと呼ばれ、正式名称は「Disco Cafe Cat’s」。Disco Cafeという部分を忘れている人が多し。当時西日本最大の規模を誇り、キャッチフレーズが「光と音のシャワーイリュージョン!」 というだけあり、内装も当時では最先端でオシャレで人気でした。

豪華さのなかにもヒンがあって美しかったようですね。

人気店であったのが納得できる、復活祭のチラシ。こういった懐かしい企画をされる方々には頭が下がります。いつまでも頑張って盛り上げていただきたいものです。

Q’S 
正式名称は「FUTURE DISCO Q’S 」。

親不孝通りに期間限定でオープンした後発組の西日本最大級の大箱ディスコ。もちろん吹き抜けの造りで2階から眺める1階の景色が素敵であった。


その景色を楽しめるバーが設置されていて、そこでまったりと飲むのが好きな方も多かったようです。

スピーカーの真ん前に大きな柱があった造りにはいまだ疑問。

クラッシュ XRSH
1998年10月オープンという遅咲きディスコ。


80年代後半にできたホテルのディスコ。

ディスコの全盛期を過ぎ、ディスコ自体が世間から飽きられてきた頃に造られたこともあり、内装費に1億円弱もかけているものの、ミーハーディスコとの差別化をはかり、今でいうクラブのようなディープな色調で差別化をはかった。

ダンスフロアは、鮮やかなライティングであったが、造りはいたってシンプルであった。

  サ行
CHICAGO STATION
昭和通り沿いにあったディスコ。情報提供者:ローズさん
JELICO
slushiさん達がキャナルの近くで’JELICOというディスコで回していました。情報提供者:伊達 博行さん
ジジック zizique
ディスコ全盛期を過ぎたが衰退はしていない1990年11月に親不孝通りに華々しくオープンしたディスコ。

面積自体は決して大箱ではなかったが、吹き抜けによる天井の高さを活かすと共に、吹き抜けに面した位置に客席を増築するなど、当時一世を風靡していたマハラジャ博多との差別化をはかった。

下から見てもそのゴージャス感は圧巻。

ジジックの象徴といえば、X-JAPANのステージセットのような「X」文字系の柱。


設計を施したのがマハラジャの内装も手掛けた設計業者だけけに、あらゆる面で魅了される工夫がみられる。

1990年11月と言えば、東京ではジュリアナ東京が翌年にオープンした時期だけあり、ディスコからクラブへの変革期の前兆とされ、このジジックはミーハー路線のディスコではなかったのは確かである。

以下コメント情報提供者:伊達 博行さん

ここでDJをやっていた池田さんが博多マハラジャのDJ hide-boさんや芝浦GoldのDJ古賀さんと毎月の第1日曜日の9時からLab-Zでハウスのイベントをやっています。

城山VO ナイトパレス 
ストラィヴ.ディー
親不孝通りのプリズモ21ビルの中にあったディスコ。
シニフェ
中州にあったディスコ
スーパー スタジオ 
中州にあったディスコ。

スーパースタジオのグッディさんは今でもgoodiesというソウルバーをやっています。

他に2ヶ月に一回、club dressのディスコイベントやスパークリングナイトもやってます。DJ西村さん他が回してます。

そういえば、毎月月末頃の木曜日に中洲の美獣でもディスコやってます。1000円でしたから安いですし、設備が凄い店です。DJ 岩尾さんが回してます。

情報提供者:伊達 博行さん

  タ行
Dancing66
天神にあったコアなファン層に根強かったディスコ。
  ナ行
ナインハーフ
WITH天神ビルにあった大人の雰囲気にて根強い人気を誇ったディスコ。北九州の小倉にもあった。
虹の館
若年層ご用達ディスコ。ラジオシティやキャッツやパシャクラブのフロントで入れてもらえず、致し方なく虹の館へ行くという若年層が多かった。

そのような面でも大変需要のあったディスコデビューには適したディスコでした。

  ハ行
バハゲッシャリー
博多大丸前の東カンビル2階にあったディスコ。
パシャクラブ
80年代初頭、天神親不孝通りのバッカス館3Fにあった王道のディスコ。
福岡フェニックス
店名だけ見ると、サッカーチームのような名前ですが、北九州の小倉にもあったようです。
ベルサイユパレス
伝説のディスコ「マリアクラブ」を手掛けた冬野観光が、マハラジャ博多に対抗するかの如くオープンさせたと言われている、ゴージャスなバブル象徴ディスコ。
その他ハ行
・FILIP・ホワイトハウス ・舶来館・・・ライブハウス?
  マ行
マハラジャ博多
もはや説明不要の全国区の伝説のディスコ「マハラジャ」の福岡バージョン。

長浜1-1-34KBC会館1F,2Fに地方マハラジャ特有の吹き抜けゴージャス設計で君臨。大箱です。

あれだけ一世を風靡したマハラジャが福岡に1店舗しかなかった。また、King&Queen MAHARAJA SALOONも福岡には存在しなかったのが不思議でならない。

それだけマハラジャグループ以外の対抗店の勢いもあったのであろうか!?

マハラジャと言えば、真鍮で造られた像の牙がシンボルマークであり、ダンスホール入口には必ず配置されていたが、マハラジャ博多はエントランスにまで配置され、全国で1番エントランスが豪華であると有名であった。

マハラジャ福岡

2007年12月にマハラジャ博多復活と題してオープンするも2年もたず、2009年8月に閉店。ドレスコードも設け大人をターゲットにし、当時の雰囲気を大切に内装もまさにMAHARAJA。六本木・大阪・名古屋とマハラジャの復活はされているが、その中でも一番当時のマハラジャをリアルに再現したお店であったように思える。マハラジャフリークには、壁のロゴだけでも欲しくなるカッコ良さ!
まさにマハラジャへタイムスリップ!
より一層、ディスコの食事?と思わせられる豪華なフード類。
豪華なキャバクラ!?と思わせるVIP ROOM。中州という場所が悪かったのか?
時代にそぐわなかったのか?様々な理由は考えられるが、早期の閉店は残念でならない。
マリアクラブ
親不孝通りの路地一角を「マリアストリート」と名付けられたほどの伝説のディスコ。


1986年小室哲哉のユニット「TM NETWORK」のライブにて華々しくオープン。

実際に、「TM NETWORK」の曲でMaria Clubという曲がアルバムに収録されておりますが、まさにこのお店のインパクトに感銘し小室氏が曲を創りあげたとのこと。

地上5階建てで、1F・2Fがダンスフロア。総面積自体も当時国内最大級を誇り、バブル真っ只中に生まれたマリアクラブには、ワンレンボディコンギャルやDCブランドに身を包んだ男たちが狂喜乱舞した。

特に2Fのダンスフロアは、5階まで吹き抜けというとんでもない空間であり、福岡県民ならず、九州全域からマリアクラブを目的に若者が集った。

このマリアクラブの影響力は圧倒的であり、我が店もという出店ラッシュにて小箱・中箱合わせ近隣には20店舗以上のディスコが乱立しておりました。

今の親不孝通りからは想像もできないほど夜は通りがごった返し、今でいう歩きスマホなどまず出来ない状態であったようです。

ムジカデゥムD

中州にあったディスコ。若年層でも気軽に入店が出来たお店であり、日曜のユーローナイトが人気。
メディア
ナインハーフと同じように遅くまでやってました。ナインハーフはスタッフにビーバップクルーやインペリアルのダンサー方がいらっしゃったので、あまり派手に踊るのは難しかったですね。だからマリアクラブが終わった後は、メディアで派手に踊ってました。情報提供者:しげさん
  ラ行
ラジオシティ
ラジオシティと言えば、「日比谷ラジオシティ」が有名ですが、福岡にもあったんですね。

他のエリアのラジオシティ同様に、入店チェックは厳しかったようで、若年層はほぼお断りという徹底さで、それが逆に入店者のステイタスとして人気ディスコとして福岡でも確固たる地位を築いたようです。

この件から考えると、大和実業が経営していたお店っぽいですね。

ラジオシティは、新宿(東京)・日比谷(東京)・阿倍野(大阪)・梅田(大阪)・名古屋と、全国区に展開しており、当時、大きな会社の上層部のステイタスとされていたエスカイヤクラブを運営していた大和実業のお店です。

この福岡も大和実業が経営していたのであれば、最古のラジオシティであると言えます。

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