東京にあったディスコの一覧と特徴や口コミ

東京にあったディスコの一覧と特徴や口コミ

東京各主要エリアにあったディスコをエリアごとに一覧と特徴や口コミを掲載させて頂いております。

ディスコフリークの方は、是非懐かしさを感じて頂けると嬉しく思います。

全国ディスコフリーク情報募集!

過去を懐かしみ当サイトにあなたの知っている情報を反映させて参加されませんか?

  • 当時、他にもこんなディスコがありました!
  • 既に当サイトにお店は記されてはいるけど、他にこんな特徴があった!

是非!あなたの地元の当時のディスコ情報を教えて下さい!(ちょっとした内容でも全く構いません)

コメントを頂けましたら、正しい情報であればすぐに当サイトに反映させて頂きます

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新宿周辺にあったディスコ

あ行
アップルハウス
新宿歌舞伎町でもかなりの大箱ディスコ。DJブースが動くカプセルという珍しい構造。

年齢層が当時の歌舞伎町のディスコらしく若すぎて不良の溜まり場であった。

インデペンデントハウス
歌舞伎町東亜会館6Fにあった人気ディスコ。選曲の幅も広く人気は根強かった。

吉祥寺店もあり、こちらも東亜会館に負けず1,000人収容クラスの大箱であった。

王城
新宿の王城とは喫茶店で、ちょうどメイン通り真ん中あたりを右折したところです。ダチがバイトしてましたのでよく知ってます。情報提供者:匿名さん
か行
怪人20面相
ロカビリーバンドのブラックキャッツを生み出したクリームソーダで有名な山崎真行氏のお店であったようです。

また、キャロル時代の矢沢永吉がたまにライブをしていたとかで驚きです。ようはライブハウスですね。

カーニバルハウス
Tomorrow U.S.A.閉店後に出来た同東宝会館ビルのハロホリに続けと竹の子中心。のちに「The Carnival」に改称。
カヤン
高級志向の内装に選曲もあたりさわりなく、客層は良かったようです。
カンタベリーハウス
ギリシャ館・ビバ館・ペルシャ館と、新宿のディスコと言えばどれかには足を運んだのではないでしょうか?

ギリシャ館は東亜会館の大箱で若年層が多く、初心者や田舎者なんでも来いミーハー路線。ビバ館は、ギリシャよりも年齢層も少し高くディスコ慣れした者が集まり客層が良かった。

ペルシャ館は少し離れた場所にあったという事もあり、混雑度は薄く、こちらも新宿にしては年齢層も少し高くディスコ慣れした者が集まり客層が良かった。

クレイジー・ホース
故 赤シャツの松本みつぐさんがビバ・ヤングの次にDJを勤めた店舗。
グリース
カンタベリーハウスの後に出来ているだけにインパクトに欠けたようです。
CH-Greece
東亜会館4F。パラパラが盛んであったディスコ。
Get/ゲット
コンセプトが「若者のプラザ」「ディスコの小学校」とされ敷居を低く設定?

GOGOダンス⇒ステップ・ダンスへの確立、もっと言えば、日本のディスコブームの先駆けとして大きな貢献を果たした店だとGetは語られている。

R&Bやソウルが中心で曲ごとにステップや振りがあったようです。基本はチャチャ。今では考えられない15時に開店であったという。

以下、情報提供者:匿名さんのコメント

当時ゲットは3時開店11時閉店 客層は伊勢丹、三越の女性またスクールメイツ一期生(鶴間エリさん他)鶴間さんのソウルシーシーはかっこよかったです。

さ行
サーカスサーカス
東亜会館7Fにあったテクノディスコ。フロアが白黒の市松模様が特徴。
Samba Club Regency
西新宿のセンチュリーハイアットホテル1Fにあったディスコ。

新宿西口であり高級ホテルの中ということもあり、宿泊者をターゲットにしたのか?あまり知られていないディスコでした。「六本木Regency」と姉妹店。

GBラビッツ
 サーカスサーカスの後に出来たディスコ。

この頃の東亜会館、いや、歌舞伎町のディスコ全体?20代は既にいなくなり、完全に10代のお子様ディスコだけになる。

ジ・アザー
新宿にあったDISCO ソウルブラザース(クック・ニック&チャッキー)のニック岡井さんがやっていたGETの他に、メンバーのクックさんのやっていたお店。情報提供者:匿名さん
JAVA-BAY
ツバキハウスの後に出来たディスコ。
シャンゼリゼ
新宿にあったがマイナー店。
シャンバラ
歌舞伎町にあったが場所が区役所通りであったからかマイナー店。
シンデレラ
東亜会館5F。ディスコ人気のきっかけとなった映画サタデーナイト・フィーバーそのままの雰囲気を思いっきりマネたディスコ。

下から光るパネル式のダンスフロア・ゴージャスな照明設備とともに当時は最先端であり、話題を呼んだディスコ。

客席からダンスフロアを見下ろせるような造りであった。新宿と赤坂にあり、赤坂閉店と同時にスタッフは新宿店へ

スキャット
歌舞伎町にあったダンスレベルの高い客が集まるディスコと話題に。

このお店がジャングルを流行らせたとされている。金曜日にオカマ・ダンス・コンテスト。

Slap Me 5
ブラック系
ゼノン
東宝会館4F。説明不要のニューヨークニューヨークと人気を2分けした大箱の超人気店。

ゼノンの詳細はこちら

ゼブラ
カンタベリーハウスビバ館の後に出来たディスコ。
CENTURY TWENTY-ONE
B&Bの後に出来た東亜会館のディスコ。カラオケルーム併設やブラック系の選曲を押すも、さほど受け入れらないままB&Bの後だけに印象が薄い。木目調のダンスフロア。
SOUL TRAIN
PART1が新宿店でGETの斜め前。PART2が渋谷。ステップ中心。
た行
チェスターバリー
新宿は歌舞伎町のおかまダンス発祥の地として有名。

1976年ころの新宿においてのディスコはどの店もかなりの集客力がありました。チェスターバリーでも平均毎日(今みたいに金曜、土曜だけ込み合うわけではない)400名位で店は二回転以上です。

また少し後ですが、ニューヨークニューヨークもそうでした。当時の社長は2年で2億稼いでいます。今みたいに出会い系サイトもない時代、ナンパするならディスコしかない時代です。情報提供者:匿名さん

チェック
末廣亭の近くにあった小さなお店。情報提供者:匿名さん
チャーリーズ ノット ヒア
新宿駅の西口からすぐにあり、OLさんが気軽に遊べていた。
ツインスター
神楽坂にあった大箱。パラパラの聖地として脚光を浴びたディスコ。

ツインスターの詳細はこちら

ツバキハウス
79年~80年あたりに大流行したテクノブームにおける最先端を走っていた新宿にあったディスコ。

当時のDJで神的存在であった大貫憲章さんが廻す毎週火曜のロンドン・ナイツは大人気。ビリヤードまで設置されていた。日曜日はヘヴィーメタルナイトなんてのも。

Tomorrow U.S.A.
トゥモロウビラ後に出来た東宝会館7Fにあった大箱ディスコ。

当時の都内ではダンスフロアが一番大きなディスコだったのでは?大箱にもかかわらず混んでいて入れない時も。

東宝会館自体別フロアに他のディスコが入っていたので混んでるときはエレベーターで下るって感じですね。チークタイムの際のフロアにカーテンが下りてくる仕掛けが大好評。

トレビ
メイン通り真ん中左にあったディスコです。入口には黄色看板で「ゴーゴートレビ」とありました当時ヤンキーのたまり場です。情報提供者:匿名さん
な行
NAPA j
東宝会館6F。歌舞伎町にありながら社会人をターゲットにしてオープン。

本格中華料理が評判であった。カラオケルームパーティールームも併設。

ニューヨーク・ニューヨーク
歌舞伎町ジョイパックビルの誰もが知る大箱超人気店。

長方形のダンスフロアの規模は壮大(なんと400坪もあったらしい)で、常にすし詰め状態であった。

ニューヨークニューヨークと言えば赤シャツの松本みつぐさん。

ニューヨーク・ニューヨークの詳細はこちら

は行
ハローホリデイ
通称ハロホリ。

激戦区の東宝会館で元祖竹の子ディスコとして火がつく。

ビバ・ヤング
Q&Bというキャバレー・チェーンを営む根本観光グループが手掛けたディスコ。

赤シャツの松本みつぐさんがDJをされておりました。

ビッグトゥゲザー
歌舞伎町東宝会館だけに1,000人以上の集客が出来る超大箱。

しかし東宝会館は各フロア毎に他店との競争が激しく、当時は7階の人気店のTomorrow U.S.A. にお客を持っていかれ、同店の週末の入りきれないお客をおこぼれ頂戴状態は否めなかった。

B&B
東亜会館6F。B&BはBeach Breezeの略でまさにサーファーディスコの代表格と言ってもよいほどの人気店。

入口を入ってすぐサーフボードのブランコは懐かしい。モニター画面は常にビッグウェンズデイ。

BOOGIE BOY
新宿のボーイズタウンディスコ。
BLACK SHEEP
70年代に流行った歌舞伎町の生演奏有りのソウル系大箱ディスコ。

ちなみに上野と渋谷にもあった。アップルハウス同様不良の溜まり場化していた。

BLACK BOX
新宿5町目でありながらゲイディスコの先駆店とされている。
ファンキーディスコV-ONE
新宿西口にキャバレー界で有名だった根本観光という会社が出掛け、横田基地から呼んだとされる黒人DJによる新宿では初の本格的なファンキーディスコとして口コミが広がる。

のちに歌舞伎町にファンキーディスコQ &B、ビバ・ヤングと出店。

PUKA PUKA
trfのDJ KOO氏が回していたとして有名な新宿のディスコ。
プレイハウス
歌舞伎町ジョイパックビルの大箱サーファーディスコ。
ポップ
70年代の半ば当時は新宿といえばゲット、ポップ、トレビ。75年頃です。

チェスターバリー、椿ハウス時代よりアウトローメンバーでまだディスコが大衆化してない時であり一番いい時代でした。情報提供者:現在61歳匿名さん

Pop Corn
歌舞伎町大箱サーファーディスコ。
ま行
ミルキーウェイ
新宿歌舞伎町チェスターバリーのチェーン店。

歌舞伎町といえど、裏手(新大久保側)のほうにあったので若い世代の中でも上京して東亜会館という客層ではなく、洗練された客が多かった。

ムゲン
新宿歌舞伎町モナミビル2F,3F吹き抜けタイプで、2階席からダンスフロアを見ながらステップを覚える人も多かった。
MOON CHILD CLUB
ここもSamba Club Regencyと同様で西新宿のヒルトンのB1あったディスコ。

新宿西口であり高級ホテルの中ということもあり、宿泊者をターゲットにしたのか?あまり知られていないディスコでした。

カラオケルームが5室も併設されていたようです。ヒルトンホテル内ならではの高級感が味わえたディスコ。

ら行
ラジオシティ新宿店
新宿3-13-2新宿文化ビルB1。

このビルには大和実業㈱がラジオシティの他にも、バニーガールの会員制のお店であるロイヤル・エスカイヤクラブなどを他フロアで展開。

ラジオシティ新宿店の詳細はこちら

わ行
ワンプラスワン
東宝会館6F。かの有名な事件が起きてしまった場所。

それを機に歌舞伎町の深夜営業が・・・

六本木周辺にあったディスコ

あ行
R Holl/アールホール
スクエアビル10Fにあったライブハウス&クラブ。

六本木のディスコでよく聞かれるスクエアビルの詳細はこちら

アイ
六本木3丁目四明ビルB1にあったソウル系。
Afro-rake
元祖、生バンドありのソウルディスコ。
イエロー
西麻布にあったイエローは、ゴールドと同様にミーハーディスコ全盛の中、独自のクラブ路線で走り見事に成功した名店。
インフィニティ
店長がDJでもありミュージシャンでもありアーティスト。70年代のSOUL STEPのドンであったニック岡井氏のサーファーディスコ。
ヴィエッテ/VIETTI
NOVA系列でしたっけ?マハラジャをシックにしたような造りでした。
ウィズ/WITH
天井が低くて有名でしたが、女子大生の聖地とされ人気のあったディスコです。
ヴィーナス/VENUS
スクエアビルの6Fにあったディスコ。
エリア/AREA
日拓アミューズメント㈱80年代「MAHARAJA」と人気を2分け。

エリアの詳細はこちら

Eros/エロス
六本木内田ビルB1 プロデューサー兼DJが宇治田稔氏で根強いファンから人気を博した名店。

閉店後のファンは西麻布のイエローへ。

エル・コンドル
六本木プラザ4Fにあったサーファー系で店名に準じてダンスフロアがL型であったり、なにやら鳥類がオブジェに。
O.D.
六本木3丁目にあった「世界一狭い」がウリのディスコ。
オデオン
六本木プレステージの跡地にリニューアルされたお店。古代ヨーロッパ風。
か行
キャステル
スクエアビルの地下にあった日本で初めての会員制超高級ディスコ。パリにあったお店の姉妹店。
queue
六本木千葉ビルにあったディスコ。

一度閉店するもZOOがプロデュースして一時復活。

ギゼ/GIZA
スクエアビル3Fエジプトをイメージしたデザインの内装。

日本のディスコで初めてお立ち台と「すしバー」が設置され、スクエアビルの中でも人気を博した3本の指に入るディスコ。

KISS RADIO
スクエアビル10F。
キワニス
スクエアビル10F。パンダの剥製を設置。
六本木キサナドゥ
ディスコ黎明期に圧倒的な人気を博したディスコであったが意外にも息は短く、それが逆に伝説と呼ばれている。
キャラバン エリーゼ
六本木7丁目にあったディスコ。
クラブ バロッコ
91年オープンのバブルディスコ。

マハラジャでお馴染みのNOVAグループが手掛けたバーとカフェとサロンとディスコを一体化させた2フロアの会員制のお店。

ビックリするのはその会員制の価格。個人の場合、入会金10万円月会費6千円というバブル臭プンプンの設定。

NOVAグループって様々なものを手掛けていたんだなと思えたディスコ。

クレオパラツィ ファラオ
六本木3丁目にあった小箱でシックな外人客の多いお店で、のちに店名がクラブ クレオパラツィ 。跡地に「Soul 2 Soul」。
クライマックス
西麻布1丁目にあった、マハラジャを代表に全国展開したNOVA21グループのお店。
クレイジーホース六本木
六本木の生バンド有り店。
COSMOPOLITAN
六本木プラザ5F「サハラ」の跡地。元サーファーディスコで音はニューウェイヴとパンク。
さ行
THE CIRCUS ROPPONGI
スクエアビルというディスコビルで他フロアの他店と競争でひしめきあっている最上階は不利であったのかコロコロとお店が変わった。

そのような中、ブラックミュージックにて差別化をはかり、10階で人気を掴んだのはこのサーカスだけではなかろうか。

Za make-up
六本木プラザビル6F 店名のとうりビューティーショップでメイキャップ。

三角形のダンスフロアの周りの客席はフカフカソファが並べられ、高級キャバクラのようなイメージでした。

サハラ
六本木プラザ5F NOVA21グループのお店。サパークラブからディスコへ。
Samba Club
スクエアビル5Fにあった。造りは相当ゴージャスで、何故かマハラジャの象徴である像の牙の真鍮があった。

檻の中に入れられた猛獣のオブジェも特徴で外国人が多かった。

ジオイド
六本木消防署の前辺り地下にとんでもないレベルの会員制ディスコとして話題に。

1,000万円の永久会員でリムジン送迎が付くという。会員になられた方は何人いるのでしょうか?

そう謳うだけあって、内装は吹き抜けでとにかくゴージャス。天使のオブジェが至る所に配置され、まさに高級感を超え異空間。

1988年、最初から何回行っても無料だった。警察の取締りが夜中にあって午前2時にお客さんが皆追い出させられた。’94に「FLOWER」情報提供者:琉衣さん

JAVA-JIVE
スクエアビルB1,B2カリブのリゾート地をイメージフロアに砂浜を設置。
シパンゴ
エリアの上の3階にあった同じく日拓の高級ディスコ。

エリアの吹き抜けのような開放感はありませんでしたが、こちらこちらで人気ありました。鶴や植物のオブジェが特徴的でした。

ジュニア
六本木4丁目内田ビルB1にあった。跡地に「ローズガーデン」
JAIL
六本木内田ビルB1にあった。跡地に「Eros」
JESPA/ジェスパ
ブラック系。
Shyoub-ad/シュブ・アド
六本木3丁目サニーランドビル3Fにあった。
J TRIP BAR/Jトリップ・バー・ダンスホール
六本木と溜池(新一ノ橋)㈱三倶が運営。渋谷・苗場・西麻布にもあった超人気店。
JB Underground
西麻布にJ TRIP BARを展開した株式会社三倶が運営した会員制高級ディスコ。跡地に「WANNA DANCE?」。
Gil’s/ジル
ニューウェイヴ系人気No.1。
Studio One
スクエアビル6Fにあったサーファー系で最新ステップをDJが教えていた。
スーパーコップス
西麻布3丁目。赤坂に続いてオープンの2号店。
ズッケロ
西麻布オリエンタルビルB1 生バンド有。跡地に「CLiMAX」ステップ全盛。
Soul Embassy
六本木7丁目渡辺ビル2F大使館の後にオープンしたソウルディスコ。
Soul 2 Soul
六本木のクラブ クレオパラツィの跡地に出来たお店。店名のとうりの選曲で根強いファン層を得ていた。
SOGNO-A/ソグノA
六本木アーバンビル レーザー光線によるフロア演出が特徴。
た行
タイムトンネル
70年代に六本木にあったディスコ。
T.G.I.FRIDAY’S
壁に大きな洋画が特徴であった六本木のディスコ。
Chakras Mandala
スクエアビル7Fにあった。ゲイボーイのショウ有。
玉椿(ツバキ・ボール)
スクエアビルB1にあった新宿ツバキハウスの2号店。
topkapi/トプカピ
スクエアビルB1にあったゴージャスな内装と全席VIPのようなソファが特徴であったが、短命に終わり1年半程度で玉椿に。
トゥーリア/TUREA
7-13-7トゥリアビルBF~2F。

オープン前から凄まじいディスコが六本木に出来るという噂から華々しいオープンを迎えるも数か月で照明落下事件が起き3名の死者を出してしまい、即閉店に追い込まれた伝説のディスコ。

トゥーリア/TUREAの詳細はこちら

ドゥルーピー ドゥルーワーズ
89年にオープン。産業廃棄物を利用し、廃墟というアート感を見事に創り出したクラブ風ディスコ。
な行
Nu/ヌー
六本木プラザ6Fに91年にオープン。

総工費1億円とも言われた店内は、当時流行りのキンキラ系を全く排除し、アート感で差別化をはかったと思われる。

ネオジャパネスク/neo japonesque
六本木5丁目にあった小箱のディスコですが、ディスコでありながら高級料亭を思わすような、「和」を取り入れた特徴あるディスコでした。

一度リニューアルされ内装が変わりました。

ネペンタ
スクエアビル8Fにあった誰もが認めるスクエアビル人気ナンバー1ディスコ。

サーファー系にて愛され続け10数年営業。大きなトラの置物が懐かしい。

は行
バイオ/BIO
スクエアビル9Fにあった。ロゴ入りトレーナーやTシャツが大流行。

FITNESS DISCOTHEQUE MUSEUM BIOという割にはメタリックな内装でした。

バイカウント
スクエアビル3Fにあった。
バズー/BUZZ (BUZZZZZ)
スクエアビル5Fにあった。

16面のビデオモニターは液晶ビジョンの無い当時では圧巻であった。ニューヨークのデザイナーさんが手がけたとの事。

PAW-WAW
スクエアビル10Fにあった。
ビンゴバンゴボンゴ/BINGO BANGO BONGO
スクエアビル7Fにあった。めちゃくちゃ細長いダンスホールが特徴でした。
ピーター・ラビッツ
スクエアビル10Fにあった。
B & B TOP
スクエアビル10Fにあった。

こうして見てみるとスクエアビルの10階は新しいお店の入れ替えがめちゃくちゃ激しいですね。

やはり最上階はサーカースのように余程の差別化ができなければ途中の階のディスコへお客様を奪われたのでしょう。

The Bee Pee Club
六本木3丁目にあったディスコ。客層は年齢層が高くバーカウンターも充実されておりディープな大人の社交場的場所であったと思います。
プラスワン
70年代初頭六本木の生バンド有ディスコ。
ファーマーズ・マーケット
スクエアビル2Fにあった。トロピカルな内装でサーファー系のディスコ。
ファイブフォース
スクエアビル8F,9Fにあった。

ダンスホールは狭かったが吹き抜けで立体的な造りであった。後に「ネペンタ」と「fou-fou」に改装。

プレステ-ジ
オーナーの人脈から芸能界やファッション界の方が多かった。

入口のどでかい黄色の店名を記したネオン管が思い出される。跡地に「オデオン」。

Blue Shell
六本木プラザビル 店名のとうり青と白を基調としたお店でしたが、大理石が多く使われており、宮殿のようなインパクトがあった。

ダンスフロアは、踊っていて割れないの?と心配してしまうような、強化ガラスが一面張り巡らされていた。

fou-fou
スクエアビル9Fにあった。仏語で「気狂い」だそうだが、内装がチープすぎて印象が薄い。
Pent House 9
六本木千葉ビルにあったディスコ。
BOCCACCI0/ボッカチオ
特徴不明。
ま行
マギー
六本木7丁目の地下にあったディスコ。

ハーレーダビットソンとキャデラックがバーカウンターの前にオブジェとして置かれていた。

1970後半~1980前半 サラリーマン男性が踊っていて床に頭を打ち付けて、1人亡くなっています。

その後「リオ」1985年まで、営業していますが、毎日お客さんが帰った後にマギーのときのサラリーマン男性の供養で、お線香をたいてました。情報提供者:琉衣さん

マジック/MAGIC
ご存知日拓のエリアの前身のお店。

サーファー系で六本木の中ではある程度の規模の箱に大学生中心であり、カジュアルさもウケ、大人気なお店でした。

マハラジャ(東京マハラジャ)
麻布十番1-3-9TBC麻布1F,2Fマハラジャ第7号店でありエヌ・エンタープライズ。

ディスコを語るうえで東京マハラジャなしでは語れない超人気店。

東京マハラジャの詳細はこちら

マハラジャ EAST
東京マハラジャから数件隣のビルにあった。現在レストランバー「Prego」。
マハラジャ WEST
成田社長のエヌ・エンタープライズが六本木にて運営。
マリオ パラッツィ
六本木3丁目にあった2フロアのディスコ。

吹き抜けではなく1フロアにバーと円形のダンスフロアと一般客席で、上のフロアにVIP ROOMとお食事とバーという、なんだか造りがどうなの?といった感じのディスコ。

メビウス
70年代に六本木で人気であったディスコ。

宇宙船を想像させる球形のDJブースが特徴で、生バンドを置かない初のディスコともされている。

音の良さは他店と比較し突出していたようです。

ら行
ラジャコート/RAJAH COURT
六本木ホテルアイビス4F名古屋・京都・仙台にもあった。
ラゼルダゼル/RAZZLE DAZZLE
88年にオープン。内装もクラブ風で客層は外国人割合が高かった。後に「CLUB RAZZLE」。
ラ フィエステア
西麻布にあったアーティストのタナカノリユキがデザインしたというだけあってアート感満載のディスコ。
ランフィニ・ジャポネスク
スクエアビル10F。本格的中華料理が美味しいと話題に。
The Regencyリージェンシー
ロアビルの13Fにあったフロアの広さは六本木で一番であった唯一東京タワーの夜景が見えるディスコ。

新宿で大箱ディスコをガンガン運営していたAプロのお店。ゼノン・ニューヨークニューヨーク・ラスカラは会員証が三種の神器のキーホルダーで、リージェンシーはあの板状のやつで鉄板と呼んでいました。情報提供者:NAFNAFさん。

Reve Japonesque
スクエアビル9F。外国人が多かった。
Leopard Cat
メビウスから生まれ変わりサーファーディスコの頂点を目指した。
レキシントン クイーン
小箱でしたが外国人に人気まディスコでした。本格的な寿司バーも設置されてました。

赤坂周辺にあったディスコ

か行
キャメル
「White House」⇒「BLACK & WHITE」⇒「キャメル」とコロコロと変わった。
キャメルズ
赤坂にあったディスコで前身はベグリア。

入口に大きな金色の3頭のラクダは通りがかりの誰もが二度見した。カサブランカをイメージして造られたようで、ディスコ要素はなかったが、古代の映画のシーンにも使われそうな細かい演出がところどころに見受けられ飽きさせなかった。

さ行
シェルハウス
赤坂6-14-1ホテル陽光1Fにあった。
スーパーコップス
スーパーコップPart2もあったとか。メビウスOBのお店。
は行
HAREM
赤坂3-21-15東都ビルB1にあった。お客さんは黒人のかたが多かったようです。
ビブロス/BYBLOS
ムゲンより後に出来るが、ムゲンと人気を2分けするまで人気店に。

日本で初めて服装チェックのシステムを取り入れたのがここであったようです。

2000年ごろに麻布十番に一時復活しました。ここもMUGEN同様に赤坂の伝説のディスコ。

フランス乞食
赤坂3-7のソウル系。メビウスOBの小箱店。
VEGLIA
イタリアン料理が評判の赤坂にあったディスコ。
ま行
ムゲン/MUGEN
ディスコと呼ばれる前の「ゴーゴークラブ」と呼ばれていた時代の大人気店。

黒人生バンドを出演させ他店を圧倒したようです。ウルフマンジャック、アイク&ティナターナーなど・・・。

小箱ではあるが、ゴージャスな内装であったようです。赤坂の伝説のディスコ。

マンハッタン
78年に赤坂にオーナーは細木数子女史で店長はドン勝本氏でオープン。
メトロ
赤坂のヒッポフェローの跡地にできたアート感満載のディスコ。
ら行
ロンドクラブ/RONDE CLUB
赤坂パンジャパンビルB1にあった。日拓アミューズメント㈱。

ボディコンナイト開始から注目が集まった。

ロンドクラブの詳細はこちら

 

青山周辺にあったディスコ

あ行
Whiskey A Go Go
青山5丁目にあった。
IVERIA
原宿にあった。
か行
青山キング&クイーン/King & Queen
北青山3-5-12クリスタルビルB1にあった。

全盛期は「日本で一番いい女が集まるディスコ」として君臨したMAHARAJA SALOON。

青山King&Queenの詳細はこちら

跡地は「ZZEX(ジェックス)」を経て「ミューズ」(クラブ)。

club D
原宿にあった本格派ディスコ。

吹き抜けのフロアの天井は非常に高くて開放感があり、鳥の恐竜?のようなオブジェが空を舞っていました。札幌にも同名で姉妹店がありました。

さ行
ジャンジャン
特徴や口コミ不明。
た行
TOKIO/トキオ
南青山5丁目にあったディスコ・カフェバー。
は行
パルスビート
通称パレビ。表参道の伝説のDISCO。情報提供者:匿名さん
ヒッポフェロー
住所は赤坂でしたが青山寄り。毎週水曜日のDJバトルが話題に。
Pithecanthropus
82年にプロデューサー桑原茂一氏デザインは安部讃平氏によって原宿にオープンしたディスコ。
ま行
Ma Sarle
南青山3丁目にあった。

渋谷周辺にあったディスコ

あ行
AVA/アバ
スペイン坂の入り口にあった渋谷チトセ会館の中にあったオーソドックスなディスコ。
S. I. joe
渋谷の道玄坂にあったディスコ。DJ集団の「M.I.D.」らが回していた。
FLW
住所は恵比寿に後発組で出来たディスコ。内装はゴージャス&モダン調で、大人の空間でした。
か行
ガウディ/Gaudi
宇田川町グランド東京ビル2F,3F吹き抜けの王道派大箱人気ディスコ。

Star Woods⇒SPAZIO⇒Gaudiと名称は変わるが、いつ訪れても渋谷では王道!

Candy Candy
ハチ公の正面であり渋谷ディスコの登竜門。
ギグ
246沿いの三軒茶屋にあった学生に人気のあったディスコ。カジュアル中心。
GRACE CASTEL
90年代前半に渋谷の神宮前にあったディスコ。
ケイブ
当時の「渋カジ」が集う渋谷のクラブの先駆けであった気がします。
さ行
ZYX
渋谷パルコの隣のリカビルの3Fにあったフリードリンク・フリーフードで音はユーロビート主体のミーハーディスコ。
ZIP/ジップ
88年オープンの渋谷の異空間ディスコ。

コンセプトが核戦争で世界滅亡後というだけあって、内装はあらゆる趣向を凝らしておりましたが、よく見ると逆に最先端?と見えてしまうのも不思議でした。

J TRIP BAR DANCE HALL
渋Jは大人気であった。

J TRIP BAR DANCE HALLの詳細はこちら

のちに「J TRIP BAR DANCE FACTORY」

JUERGA
スペイン坂の入り口にあった渋谷チトセ会館の2階にあったディスコ。現在「カラオケ館」。
スターウッズ/Star Woods
宇田川町グランド東京ビル2F,3F吹き抜けの王道派大箱人気ディスコ。

Star Woods⇒SPAZIO⇒Gaudiと名称は変わるが、いつ訪れても渋谷では王道!渋谷の中でも年齢層は高め。高めといっても周りのディスコが年齢層が低過ぎただけ?

スパジオ/SPAZIO
宇田川町グランド東京ビル2F,3F吹き抜けの王道派大箱人気ディスコ。

スパジオ/SPAZIOの詳細はこちら

Star Woods⇒SPAZIO⇒Gaudiと名称は変わるが、いつ訪れても渋谷では王道!

スタジオハッチ
特徴や口コミ不明。
は行
PARADIAM
ハチ公の正面にあったCandy Candyから店名変更。
パブ野郎
こんな名前がディスコ?と疑うようなネーミングであるが渋谷の道玄坂にあったようです。
HIP-HOP/ヒップホップ
86年に渋谷にオープンしたニューヨーク系クラブ風ディスコ。男性同士は入れなかったようです。
ビッグアップル/big Apple
渋谷センター街入口という立地条件からまさにCnandy Candyと共に渋谷ディスコの登竜門であり大箱でした。

場所柄若年層を対象としたディスコの割には内装は白と黒を基調としたシンプルでシックなデザインであったのは違和感がありました。

ホットポイント/HOT POINT
渋谷にあったディスコ。世はクラブへ移行時もここは渋谷で唯一生き残っていあたディスコであった気がします。
ま行
MAHARAJA JUNIOR
渋谷宇田川町。後に「MAHARANI」を経て「マハラジャ倶楽部」(パブ)現在「L’s」。
ら行
ライラ/LAYLA
渋谷の小箱ディスコでありながら、照明系や内装は何1つ手を抜いていない王道系のミーハー路線ディスコでした。

ダンスフロアを挟んだ形で左右対称に客席があったので、照明に照らされ爆音を聞きながらの男女の品定めというお見合い?とも思えた時があります。

ラ・スカラ/LA SCALA
まさに青春の箱。

ラ・スカラ/LA SCALAの詳細はこちら

渋谷JOYPACKビル3F,4FJOYPACK DISCO GROUP

ラデュック/La duc
渋谷は神南に91年という遅咲きでオープンしたディスコ。

遅咲き故に流行っていたキンキラ系ディスコとの差別化を図ったか、シックな高級感にこだわった造りや内装でした。

銀座周辺にあったディスコ

あ行
エム・カルロ/M-CARLO
銀座にあり、近くのラジオシティと人気を2分けしていたディスコ。

エム・カルロ/M-CARLOの詳細はこちら

水曜日のオールディスは「水Mと」呼ばれ行列ができるほどの大人気なディスコでした。店内も広々としており、銀座という土地柄完全に大人向けの雰囲気でした。

か行
ギャラリー
81年にオープン。銀座らしい店名?細長い土地に対し、レイアウトを上手く造りだし広々とした空間を演出していました。
クロノス/CRONOS
内幸町という意外な場所にあったディスコ。

ダンスフロアは思いっきりディスコって感じでしたが、ダンスフロア以外は、造りやオブジェやライティングがアート感が満載で大変お洒落なディスコでした。

さ行
サイカ
汐留跡地に作られたコンサート会場とディスコを併せ持つ巨大イベントホールとして誕生したが短命に終わった。
シーザースパレス
銀座にあったが特徴や口コミ不明。
J&R
まさに当時大人気であった女性ブランドでアパレルメーカーJUNが経営していた息の長かったディスコ。
JULIUS CAESAR
銀座にあった。コンセプト「若者と音」「女性と色彩」「紳士と対話」「ジョークとギャグ」。
シック/CHIC
銀座にあったが特徴や口コミ不明。
た行
ディーノクラブ/DINO CLUB
銀座の小箱の会員制ディスコ。
DR・AN
銀座にあったが特徴や口コミ不明。
ら行
日比谷ラジオシティ
エムカルロと人気を二分けしていた人気店。

日比谷ラジオシティの詳細はこちら

有楽町東宝ツインタワービルB2,B3今は跡地がクラブディアナとして人気クラブとなっている。

芝浦周辺にあったディスコ

あ行
MZA ARIAKEクラブ・ガディル
アトランティス大陸をイメージした大箱ディスコ。

MZA ARIAKEクラブ・ガディルの詳細はこちら

O’BAR 2218
芝浦という土地柄、大箱でした。ジュリアナからハシゴする方も。
か行
クラブ ワルシャワ
芝大門にあったレストランディスコ。店内イスもテーブルも照明も赤一色といったイメージ。
ゴールド/GOLD
クラブの先駆け的存在の超人気店。

ゴールド/GOLDの詳細はこちら

さ行
ジュリアナ東京/JULIANA’S TOKYO
芝浦1-13-10東京ポートボール1F。芝浦と言わず、日本全国区にその名を知らしめた多くの伝説を残した超大箱ディスコ。

ジュリアナ東京/JULIANA’S TOKYOの詳細はこちら

東京その他の地域にあったディスコ

あ行
阿修羅
東京のディスコでは珍しい蒲田という場所にあった。他にはブルドッグというお店もあったようです。
アダムスアップル
池袋初のバイキング付き大箱ディスコ。

アダムスアップルの詳細はこちら

アリマ
70年代に西新小岩にあったディスコ。
アルクス/ARX
上野に日拓アミューズメント㈱がサラリーマン・OLをターゲットとし大箱でオープン。

アルクス/ARXの詳細はこちら

次第に若年層の放課後のようになり、コンセプトがブレブレで閉店。

Indipendent House
吉祥寺にあったインデペンデントハウス新宿店の姉妹店。
さ行
ジャック&ベティ
池袋西口にあったが、アダムスアップルのように長くは続いていない。
SPANGLE
上野にひっそりと存在した上野では伝説のディスコ?
SHIRO
80年代に吉祥寺にあったブラック系のお店。
Studio54
吉祥寺にあった。NYの伝説的ディスコ「スタジオ54」とは全く関係はない。
3D CLUB TOKYO
北区王子のアークホテルビルB1,B2にあったディスコ。

王子にディスコがあるのは珍しいが、それゆえに内装の凝り方は凄かった。

なんとダンスフロアのど真ん中にUFOが設置されており、その他はまさに宇宙空間の演出。かなりのお金がかかっていたと推測。

た行
TYO
ティワイオと読む自由が丘にあった演出にシャボン玉の機械が特徴のディスコ。

内装は自由が丘という場所とは思えないほどサイケデリックな雰囲気であった。

テンミニッツ
上野にあったディスコ。
ドミノ
ドミノピザ立川店ではありません(汗)立川という東京都下にあったディスコ。エモンやアストロハウスという店もあったとの事。
な行
720
中野にあったディスコ。
は行
ピラミッド
70年代に新小岩にあったディスコ。
5(ファイブ)スポット
自由が丘の駅前に1981~83年頃にあったディスコ。

西口ロータリー先の中華料理店(今は予備校らしい)のビルの地下でした。ここは2度くらい行きました。

閉店後何年も東横線のホームからビルの壁に残されたれた看板が見えたものです。情報提供者:ネロンガさん。

ファンキーホース
目黒にあったディスコ。駅から近く、権之助坂から路地を入ったところにあったような・・・。

1977年頃何度か行きました。みんなで同じステップを踏んでいた記憶があります。情報提供者:ネロンガさん。

ベルファン
吉祥寺にあった。店内は広く円形のカウンターがいくつも点在。
HOT LINE
東京のディスコでは珍しい高田の馬場にあった。
ボンゴ
池袋東口に大人の雰囲気で広いフロアのディスコがあったようです。私は西口のアダムスアップルしか知りませんでした。
ら行
ロイヤルハバナ
池袋にロイヤルハバナというディスコがありました、ご存知の方がありましたらよろしくお願いいたします。情報提供者:匿名さん

60年代の東京にあったソウルバー系

アングラポップ
新宿歌舞伎町。絨毯バー。
LSD
新宿。
Crazy Spot
渋谷仁丹ビル裏。ジュークボックス式。
サンダーバード
新宿。
ジョージ
現六本木ミッドタウン(旧防衛庁)横にあった伝説の店。情報提供者:匿名さん
スネーク
新宿。
スペース24
新宿。
THE OTHER
新宿三丁目。
CHECK
新宿。
ナック・ザ・ボーイ
新宿。
Pulse Beat
青山。
ベイビーグランド
新宿。
ヤングメイト
新宿。
らせん階段
新宿。
リフレクション
新宿。
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