ジュリアナ東京 JULIANA’S TOKYO

ジュリアナ東京 JULIANA’S TOKYO


バブル絶頂期
のディスコ代表格といえば、もはや説明不要のMAHARAJA マハラジャ!

そして、バブル崩壊後のディスコ代表格といえば、これまた説明不要のジュリアナ東京 JULIANA’S TOKYOでしょう。

イギリスのフェンブリーグループと日商岩井が出資し、1991年5月オープンした超大箱ディスコ。

ジュリアナ東京 JULIANA’S TOKYOと言えばお立ち台やダンスや扇子!そもそも人気を博した要因とは!?

芝浦という場所に超大箱のディスコがオープンという噂に、当初は「あんな場所に?」と誰もが思いました。

オープン当時はあまりにも大箱過ぎるのと、田町からけっこう離れた場所の影響もあってか、お客さんもまばらでしたが瞬く間に伝説の最強ディスコへ駆け上りました。

ジュリアナ東京の人気要因

  • 超大箱の解放感
  • 身体の芯まで伝わるボディソニックシステムの振動と迫力
  • ジョン・ロビンソンのマイクパフォーマンス
  • ジョンロビンソン、トリプルD、ALGの選曲
  • テクノハウスの流行とダンス
  • スーパーお立ち台
  • 従業員のコネクションからくる集客
  • コネクション集客効果による口コミ(SNSがなかった時代の口コミとしては凄いことである)
  • 当初は朝まで営業出来ていた
  • メディアへの露出

人気が高まり始めた当初のジュリアナの客層はまさに東洋一であったのでは!?

あげるとキリがありませんが、間違いなく当時の日本一のディスコであったと思います。

人気絶頂となる前である深夜営業もおこなわれていたジュリアナ東京には、芸能人やタレントやモデルといった日本を代表するような「いい女」がボディコンに身を包みお立ち台にて乱舞する光景は圧巻。

一度行くと女性達はお互いにお立ち台にてライバル心を燃やし、男性達はその女性達を目当てに群がるというディスコの流行る図式である。

当時の携帯電話やSNSどころかインターネットもさほど普及していない時代に、口コミのみで物凄い数のお客さんがつめかけていったあの勢いは今さらながら凄まじいパワーがありました。

バブル崩壊の影響も感じなかったジュリアナパワー

バブル崩壊の開始年にオープンしたジュリアナだが、店内はバブルの名残が充満し、お立ち台の綺麗なお姉さまたちを2FのVIPルームへ呼ぶために富裕層の男たちのVIPの予約も殺到し落とす費用も大きかったようです。

ジュリアナ東京VIPルーム

しかし人気絶頂となる前のジュリアナ東京のほうが客層がよかったというのも皮肉なものです。

その頃もお立ち台はもちろん、ダンスもテクノハウス特有のダンスでとくに女性はSEXYに見えたものです。

しかし扇子などを振り回す女性はいませんでしたし、衣装も露出系ではなくオシャレにSEXYさが加わったという感じで都会の洗練されたオシャレな大人の集まる場所で人気であったわけです。

もちろん出会いの場所としてナンパも多く、私もその一人ですが男性からすると最高の出会いの場所であったと思います。

とくにバーカウンターに腰かけている女性に声をかける方も多かったのではないでしょうか?

ジュリアナ東京 JULIANA’S TOKYOのバーカウンターの一部

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DJブース裏からの光景
ジュリアナ~ズ!ト~キオ~!」の叫びがとても懐かしい!

djura

julianajohn

ジュリアナ東京が大人気のなかで荒木師匠というお立ち台のカリスマが生まれ、ジュリ扇などの扇子グッズが広まり、ボディコンは露出度の過激さを増していき、そのような光景をメディアはガンガンに取り上げました

そのような背景から、ジュリアナにまだ入場できない中学生や高校生や更に小学生までもが家の中のベッドをお立ち台代わりにし、扇子を持ちボディコンでダンスするという現象まで起き始めたのもジュリアナ人気の凄さを感じたものです。

また東京の観光ツアーのプランにまで入れられたディスコはジュリアナ東京が最初で最後でしょう。

ジュリアナ東京 JULIANA’S TOKYOの最盛期は実は長いものではなかった

しかしそのようななか衰退の始まりは早くもおそってきていたように思います。

あまりにも有名になりすぎた!?ジュリアナを味わってみたい!若者の誰もが抱く欲望。

ジュリアナ東京の経営陣はジュリアナブランドの維持に必死で努力していた!

当時の経営陣も、上品な大人の社交場というコンセプトを貫いてこそジュリアナブランドは永続できるという念もあったと推測されます。

上品な大人の社交場としては決してふさわしくない服装をされた来店者をフロントでお断りしたり、VIP ROOMにおいても大人の行動ができないハメをはずされる方も多くいたようです。

そのような方々の入店をお断りするなども大変だったのではないでしょうか!?

そういった問題からでしょうか、支配人の方が呼び出されて集団でボコボコにされるという事件もありました。当時の経営陣や従業員も大変であったと思います。

女性の衣装も過激さはとどまることを知らず、最終的にはTバックやOバックやニップレスのみ等大変な状況になっていき、その頃には当初集まっていた「いい女」は徐々に姿を消していきまいた。

あれほどまで輝いていたオシャレでハイセンスなジュリアナ東京は、もはや「下品なスポット」となっていったのです。

ジュリアナ東京 JULIANA’S TOKYOの衰退と閉店

ジュリアナブランドの崩壊は早かったです。

この状況を察知したお店側もモチロン「過激な衣装は入店でお断り」という策をとっていくも時すでに遅し。

ジュリアナが洗練されていた頃に集まっていたオシャレな大人たちは、戻ってこなくなるほどの状況になっていたわけです。

荒木師匠でさえも入店チェックで断られたのは有名な話。

ここで追記しますが、荒木師匠はカリスマとしてメディアに取り上げられ有名になっただけであって、衣装の過激さに影響を与えてしまった人物ではありません。

過激な衣装ではなく大人の色気を演出できるオシャレなボディコン衣装を身にまとったかたであったと思います。

参考記事:荒木師匠

伝説のディスコクローズ

1994年8月末ジュリアナ東京は閉店となりました。

あれだけのディスコが3年と少しで閉店になるとは誰も想像していなかったのではないでしょうか?

もう一つの伝説のディスコであるマハラジャは12年も運営されてます。

とはいえ東京ドームをディスコに変えてしまい、日本全国からボディコン女性やディスコ好き男性を集客するようなイベントまで起こさせたのは、紛れもなくジュリアナ東京の大きな影響であったことは事実です。

ジュリアナ東京はこの3年間という短い間に物凄いダッシュで駆け抜けた本物の日本一の伝説のディスコであったことに間違いはないと思います。

参考記事 ジュリアナ東京 NHK特集番組から見た絶頂~終焉の実態!

参考記事ジュリアナ東京 コレクション

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