70年代の大阪のディスコのお店や曲や踊りとは!?

70年代の大阪のディスコのお店や曲や踊りとは!?

70年代の大阪のディスコも素晴らしかったようです。

管理人である私自身は東京にて80年代にディスコデビューであり、80年代~90年代のディスコ事情は多くの体験でスラスラ記せますが、70年代のディスコ事情に関しましては、当時の先輩などから話を聞かされてはおりましたが、自身が体験していないので詳しくは理解できておらず、ましてや大阪ともなるとまったくのチンプンカンプン。

しかし当ブログに貴重な意見を送っていただける「あきらっち」さんが情報を提供してくれましたので、掲載させていただきます。

大阪激安ディスコ ダンスホール富士

以下、情報提供者:あきらっちさん

71年当時初めて行ったホールでダンスホール富士のことを少し話します。

入館料はなんと驚きの200円!と超安!高校生の私でも躊躇なく入れました。

内部が体育館を思わせるほど広く、中にいる人を見れば殆どの人のファッションがコンポラ(コンテンポラリー)でキタのディスコ(ダンスホール富士はミナミにあったディスコ)ではアイビーが主流でしたがあまりの違いにびっくりしたのを思い出します。

その中でも一番目立っていた方は背が高く、

  • ロケットバック
  • サングラス
  • コンポラのせまいラペルのジャケット
  • アーチがかった細ネクタイ
  • ごく細パンツ
  • エナメルのスリップオン

というのが定番中の定番でした。

流れた曲はサンタナ、WARなどでコストの影響か日本人バンドであり、ダンスはホールが広い為かステップ大流行でした。

70年代初旬の大阪でよくかかっていた曲と踊りかたとは!?

私が行きだした71年~75年ごろは単発でこの曲にはこれというものがありました。

サンタナのオイェコモバがかかるとソウルステップがあり、レアアースのゲットレディがかかると専用の物が、あとテンプテーションのパパウォズアローリングストーンもしかりでした。

そして一般的には左右にステップを踏んで全体的に調子をとっておりました。

75年秋からDiscoが流行りだすと76年はステップ大流行となり当時は3人で組んでダブルのスーツを着込み、一番前でライブラリーのホールを席捲したものでした。当然その時は数々の恩恵は受けましたが、、、、、

あと私はフリースタイルも好きでソウルトレイン仕込みのウォーターゲートやファンキーフルーツなどを踊っておりました。

70年代前半によく踊った曲を紹介します

71年からアストロに通いだしたのですが、当時はRockが大流行でシカゴの長い夜、チェイスの黒い炎、ディープパープルのブラックナイト、スモークオンザウォーター、サンタナのエヴィルウェイズ、ブラックマジックウーマン、オイェコモヴァ、僕のリズムを聞いてくれ、シカゴのシスコキッド。

73年からは段々ブラックミュージックに流れスティービーワンダーの迷信、悪夢、JBのSexマシーン、There was a time、クール&ギャングのファンキースタッフ、ジャングルブギー、オージェイズの裏切り者のテーマ、75年Discoが世に登場するぐらいまではAWBのピックアップザピーセズ、KCのファンキーホーンなどなど。

こういった曲をすべてコピーで特にフィリッピンバンドが完璧にこなしてました。

70年代半ばからよく踊った曲を紹介します

75年秋に巷にはDiscoが登場しはじめ、通常のヒット曲やいわゆるDiscoミュージックが各ホールを席捲しました。

最初によく耳に飛び込んできたのはコモドアーズでマシンガン、バンプでしたがこの時に好きだったのがI feel sanctifiedです。

他には BTExpressの Give it what you gotやPeace Pipe あと Archie Bell & the DrellsのLet’s go Disco ティナチャールスのディスコフィーバーです。

エディケンドリックスのキープオントラッキンでトラッキンというステップも踏みました。タバレスといえば愛のディスコティック オージェイズといえばアイラブミュージック その後Discoミュージックなるものが出現し、バスストップステップ関連のもの、ジミーキャスターバンチのキングコング シルバーコンベンションのフライロビンフライ、ジミージェイムスのI am somebody などなど。

当方のYou tube のお気に入りに入れている250曲の一部ですがたくさんあります。

70年代の大阪のディスコを愛した方々が2000年を過ぎて通った場所とは!?

一番最近(最近と言っても2011年あたりまで)で通いまくったといえば、92年西区南堀江にオープンしたソウルファクトリーです。

ここには96年から通いだしました。お店は半地下から入り、ホールは12畳程度でそこそこの広さでした。

DJは70年代から回している人ばかり、客層も同年代が殆どで二階のバーカウンターの壁にはテレビが数台埋め込まれ、ソウルトレインがずっと映っておりました。

気の利いたDJと曲は70年代のレアなものばかりとソウルを愛したものにとっては正に珠玉物でした。

そして現在はMAHARAJAミナミ店でしょうか?MAHARAJAといえどいまやクラブ形式ですので、イベントを選んで遊びに行くというのが東京も大阪も同様であると思います。

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