ディスコは新宿から

ミラーボール
当方、現在アラフォーを過ぎてしまった完全に初老です。(汗)

友達に誘われて初めて行ったディスコは新宿。これ、ありがちですよね。

歌舞伎町を歩くだけでオドオドした記憶が・・・。

現在の歌舞伎町では考えられないくらい当時の歌舞伎町は、思春期の若者に対し恐怖と好奇心が交差する異次元空間であったことを覚えています。

新宿で一番最初に行ったディスコは東亜会館のGBラビッツ

忘れもしない私が一番最初に行ったディスコが東亜会館の GBラビッツ です。

友達は慣れていたのですが、私はもう何が何だかわからない放心状態であった記憶しかありません。

爆音が鳴り響くその場所は初めて聞く音楽、初めて感じる空間、初めて接する人だらけ。

ダンスホールに出てもどうしてよいやらまったくわからず、ひたすら隅の方でフリードリンクを飲みながら楽しんでいる皆の姿を眺めるしかなかった私でした。

しかし思春期のお子様である私にとってはその光景のインパクトは絶大であり、見よう見まねでステップを踏みながら2回目くらいからやっと慣れてきました。

【ゼノン】忘れもしない初めての衝撃

そして別の友人が誘ってくれたのが、「ゼノン」です。

東亜会館に慣れてしまっていた私ではありますが、このゼノンへ行った時がディスコへの道が完全に開花された瞬間です。

比べ物にならない程の円形フロアの規模にひたすら圧倒されてしまいましたが、その規模感が衝撃的でありたまらなくツボにはまった事を思い出します。

常連さんと仲良くなったり、初めてナンパをしたり、もう楽しくて楽しくて・・・。

週末だけでは収まらず、この頃は金土はもちろん、平日も行っていました。

そう言えば、ゼノンと言えばこれ

zenon-thumbnail2

懐かしくないですか?まだ実際に持ってる人いらっしゃいますかね?

学校から帰ったらすぐに着替え、オープンには入店。当時は食べざかりですからこの時間にはもうお腹がペコペコ状態。フリーフードでお皿に大量に盛り、まずは腹ごしらえ。コックさんに盛り過ぎを怒られるのは何度も。

そして透明のボールに氷と一緒にたっぷりと入れられたフリードリンクをガブ飲み。味が違い5色くらいあったでしょうか?

私は常に青色のジュースを飲んでいた記憶があります。

今から考えるとあの透明ボールに入っていた液体ジュースはどのような工程で造られた飲み物であったのか完全に謎ですね( ̄Д ̄;;

上の写真をご覧ください。そんなゼノンがあったビルは、隣りにあった歌舞伎町のシンボルとも言われたコマ劇場もなくなり、まったくゼノンの面影がなく寂しいかぎりです。

さみしいついでに写真を撮っておきました。

新宿の大箱ディスコはニューヨークニューヨークも!

ゼノンの向かいのニューヨークニューヨークもちょくちょく行きました。

こちらも系列店であり、円形状のゼノンに対し長方形のニューヨークニューヨークもゼノンにも負けず劣らずの大箱。赤シャツの故・松本みつぐさんのDJは今でも良き思い出。

newyorknewyork

とにもかくにもゼノンとニューヨークニューヨークは何度行ったかわかりません。とにかく相当な回数行きました。

東亜会館系の鏡に向かって踊るより、ゼノンやニューヨークニューヨークのように鏡なしの方が好きでしたね。

ニューヨークニューヨークはゼノンと比較するとHUMAXビル自体は残ってますので今でも面影はありますかね?ついつい懐かしくて写真をパシャリ!

ビルが残っているだけでもゼノンよりは面影がありますが、自由の女神が・・・いない(泣)。

いずれにせよ一番好きで一番通ったのはゼノンです。あのバカでかい円形フロアが大好きでした。ナンパは毎回。時にはケンカして追い出されたりも・・・・・・(゚_゚i)タラー・・・

一番嬉しかった事は、DJ前のレディースVIPの常連の子と付き合えた事です。

あの辺りに座る子は高嶺の花で、DJやら従業員の彼女やらでお近づきになるのはかなりの困難なのですが、勇気を振り絞りトイレからの出待ちでナンパ。

DJや従業員との関係性も無く上手くいき、お店が終わったあとに一緒に朝まで遊びました。確か、1年程お付き合いしました。本当にキレイな子で、後に別れてからは六本木のディスコやらで再開などするわけですが・・・。

新宿で始まった私のディスコ人生がどのような展開をしていくか?当時を思い出しながらさまざまなディスコを綴っていきたいと思っております。

自己紹介カテゴリの最新記事